『大日本史料』 12編 46 元和八年七月~同年八月 p.356

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ウスに訴へたり、この全教會擧りて行ひし祈祷は、彼等の敬虔なるパードレ等と教理傳, 海濱も、觀衆に滿ち溢れたり、信徒等は殉教者の堅忍の爲めに熱烈なる祈祷を行ひてデ, 道士等とにとりて頗る效驗ありたり、デウスは殉教者をも亦民衆をも祝福し給へり、即, 異教徒は之を措きて數ふるも、三萬人のキリスト教徒參集せり、陸地も海上も、丘陵も, て、そは大殉教の名を以て呼ばれたり、即ち、其の犧牲者の多くは多年布教に當りし者, にして、〓に二十年に及びしものも少からざりき, 此の殉教の場に居合せたる群衆は夥しき數に及びたり、其の犧牲者の數と質とに依り, 〓, て, 元和八年八月五日, 〕, ン・タンヌは一六一四年(○慶長十九年ニ當ル、)、パードレ・アンジェル・オルスッチは一六一八年(〇元和四, トとパードレ・ジャシント・オルファネルとは一六〇七年(〇慶長十二年ニ當ル、)パードレ・リシャール・ド・サ, は身を焦して死に, デスの事蹟を〓記せり、されど此の兩人の事件は同調査書第二十四項に收めたり、, 就きしならん、, 述べし、かの二人の例に據りても明かなるが如く、假令火中より出來りて、命ぜられし處を實行すべき事を誓約する, 原註、パードレ・スピノラは一六〇二年(○慶, 和五年十二月三日ニ當ル、)獄中にて死したるイルマン・アンブロジオ・フェルナン, 意せし暴君の激怒は、次の如きものなりき、彼等は到底其の儘生きて留め置かるべきものとは見えざりしが、曩』, 長七年ニ當ル、)に日本に入れり、パードレ, とも、それに依りて生命を許し與へらるゝ事無かりしなるべし、寧ろ彼等は其の都度更に火中に投ぜられ、擧句の果, 原註、前二者に對して好感を抱かざりしガルセスの説きし處に據れば、棄教者たりと雖も少しも容赦せざる事を決, 年四月六日ニ當ル、)獄中にて死したるパードレ・ジュアンド・サン・ドミニック、及び一六二〇年一月七日(〇二, たり、パードレ・ペドロ・ダビラは一六一一年(○慶長十六年ニ當ル、)パードレ・ジョセフ・ド・サン・ジャシン, 年ニ當ル、)に渡來せしなり、此の殉教は教皇廳調査書第十項に收めたり、猶ほ、一六一九年五月十九日(〇元和不, デ・モラレス及びパードレ・アロンソ・デ・メーナも亦、同年入國せり、パードレ・キムラは此の頃司祭に任ぜら, ン・タンヌは一六一四年(○慶長十九年ニ當ル、)、パードレ・アンジェル・オルスッチは一六一八年(○元和四, トとパードレ・ジャシント・オルファネルとは一六〇七年(○慶長十二年ニ當ル、)パードレ・リシャール・ド・サ, 集ル, 信徒等多ク, 大殉教, 其數三萬人, 三五六

割注

  • は身を焦して死に
  • デスの事蹟を〓記せり、されど此の兩人の事件は同調査書第二十四項に收めたり、
  • 就きしならん、
  • 述べし、かの二人の例に據りても明かなるが如く、假令火中より出來りて、命ぜられし處を實行すべき事を誓約する
  • 原註、パードレ・スピノラは一六〇二年(○慶
  • 和五年十二月三日ニ當ル、)獄中にて死したるイルマン・アンブロジオ・フェルナン
  • 意せし暴君の激怒は、次の如きものなりき、彼等は到底其の儘生きて留め置かるべきものとは見えざりしが、曩』
  • 長七年ニ當ル、)に日本に入れり、パードレ
  • とも、それに依りて生命を許し與へらるゝ事無かりしなるべし、寧ろ彼等は其の都度更に火中に投ぜられ、擧句の果
  • 原註、前二者に對して好感を抱かざりしガルセスの説きし處に據れば、棄教者たりと雖も少しも容赦せざる事を決
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  • デ・モラレス及びパードレ・アロンソ・デ・メーナも亦、同年入國せり、パードレ・キムラは此の頃司祭に任ぜら
  • ン・タンヌは一六一四年(○慶長十九年ニ當ル、)、パードレ・アンジェル・オルスッチは一六一八年(○元和四
  • トとパードレ・ジャシント・オルファネルとは一六〇七年(○慶長十二年ニ當ル、)パードレ・リシャール・ド・サ

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  • 集ル
  • 信徒等多ク
  • 大殉教
  • 其數三萬人

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  • 三五六

注記 (34)

  • 390,690,60,2229ウスに訴へたり、この全教會擧りて行ひし祈祷は、彼等の敬虔なるパードレ等と教理傳
  • 504,678,59,2233海濱も、觀衆に滿ち溢れたり、信徒等は殉教者の堅忍の爲めに熱烈なる祈祷を行ひてデ
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