『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.749

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三好か本陣を切崩す、三好方若干討れ逃退く、藤孝君、池田、荒木、伊丹の人々, か陣を攻討由聞へ候間、細川右馬頭、三淵大和守、野村越中守等、門を開て撞, 逃るを追捨、直こ洛中こ入、本國寺の後詰と成、御所こ而は、諸方の後詰三好, 無勢なりとて長追せす、各本國寺こ來り、首とも將軍家の實驗こ入、御感こ, 亂れたる所こ、池田八郎次郎勝政、伊丹兵庫介親矩、荒木村重等此所と押來, て出、内外より揉立、數刻戰合はれける故、敵惣敗軍におよふ、されとも六條, も、三千餘にて本國寺の後卷として、若江の城を, より鑓を入、稠しく戰ひ給ふ、松井康之、志水新之允、同惡兵衞等、敵を〓伏て, 首をとる、有吉立言も鑓を合さ相働き、敵新手の御勢に當られて氣疲れ、備, 打出駈向ふ、途にて三好日向入道、松永、岩成等二手に分て攻かゝる。義繼駈, 立られ、散々に成つて引退く、折節藤孝君桂川にて行合、慕ひ行く敵の横合, 吉將監立言等、彼是貳百餘, 新之允清久、同惡兵衞秀清, 外攝河江の諸大將も聞付〳〵駈上らる、三好左京大夫義繼, 長須兵庫介勝好、弓削三郎四郎則頼、有, にて御かけつけ被成、其, を離レて御味方仕候也, 公方家二降り、此節は一家, 一二其外西ケ岡邊の野, 去年十月日, 三好之本家也, 伏を駈催し、一千餘と有, 又清秀、, 一二元清、, 桂川ノ戰, 永祿十二年正月五日, 七四九

割注

  • を離レて御味方仕候也
  • 公方家二降り、此節は一家
  • 一二其外西ケ岡邊の野
  • 去年十月日
  • 三好之本家也
  • 伏を駈催し、一千餘と有
  • 又清秀、
  • 一二元清、

頭注

  • 桂川ノ戰

  • 永祿十二年正月五日

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  • 七四九

注記 (27)

  • 774,676,66,2195三好か本陣を切崩す、三好方若干討れ逃退く、藤孝君、池田、荒木、伊丹の人々
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  • 656,672,70,2205逃るを追捨、直こ洛中こ入、本國寺の後詰と成、御所こ而は、諸方の後詰三好
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  • 428,676,69,2200て出、内外より揉立、數刻戰合はれける故、敵惣敗軍におよふ、されとも六條
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