『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.666

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之合戰の樣子、面々存分之通り被申候樣にと有之候得共、談合區々にて, よし、御諚あるのとこ海、井伊兵部少輔直政とゝもに先驅す、直政敵陣をや, 由申候に付、兎も角も惣兵衞次第と談合相濟申候、翌日之朝、孫七郎山取, 崎にて池田勝入父子、堀左衞門佐、森武藏承り、孫七郎こそ合戰に負、追討, 埓明不申候、兎角惣兵衞ならては、究り申間敷候條、能樣に計ひ候へと、何, なり候はゝ、敵聞付可申と、はみを卷候而罷通り、小幡の城へ初夜過に著, を致し備を立候處へ、丹羽勘助、惣兵衞兩人先手を仕、追崩し申候、此由岩, かきとお兵士一人をうちとり、また組討して首級を得たり、, 申候、大須賀五郎左衞門、榊原小平太、本多豐後守、惣兵衞談合仕候は、明日, を申候付、惣兵衞申候は、敵は大軍、味方は小勢にて候間、掛合之合戰は成, に討れ候迚、岩崎を責落し、丹羽次郎三郎を討取、長久手へ向ひ申候に、五, 間敷候、三好孫七郎跡備にて候間、夫に引付追討に不致候はゝ、勝に難成, ふりしかは、かれにをくるゝことをいかり、急に敵陣にかきいりて、黒母衣, 郎左衞門、小平太、豐後守、人數をさし向候へは、味方の先手勢田の際石佛, 〔水野勝成覺書〕一小山を四月八日の暮に罷立、龍泉寺の下を押申、馬の興, ○上, 下略, リテ秀次, ノ陣ヲ破, 先鋒トナ, 康高等秀, 氏次忠重, マデ追ハ, 政ニ石佛, 直政ト共, ニ先驅ス, 天正十二年四月九日, 六六六

割注

  • ○上
  • 下略

頭注

  • リテ秀次
  • ノ陣ヲ破
  • 先鋒トナ
  • 康高等秀
  • 氏次忠重
  • マデ追ハ
  • 政ニ石佛
  • 直政ト共
  • ニ先驅ス

  • 天正十二年四月九日

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  • 六六六

注記 (28)

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  • 1795,613,64,2207よし、御諚あるのとこ海、井伊兵部少輔直政とゝもに先驅す、直政敵陣をや
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