『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.187

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

に來り、元峯切腹を聞引取申也、, 云、此節伯州の領主中村一學衆安藤半右衞門, せんとて、家老物頭諸役人、大塚か屋敷にて、江戸への書状相認、總侍中へ、大, 之推參、乍恐四郎兵衞殿は、公方樣へ御目見も致されたる仁也、其上其身腹, 朝腹を切せ申由相認、此文能候哉と云けれは、小身者に玉木と云もの、末座, 野左兵衞、小澤彦八喧嘩仕、細野、小澤兩人は即座に相果申候、四郎兵衞は、翌, 傳に云、石切出す節、各務四郎兵衞床机に懸り居る所へ、小澤彦八頭巾を, 故、了簡なく門を明たると也、此節忠政君、御在江戸に而候へは、以飛脚言上, を被切候へは、腹を切せとありては、誰か切せ申たると御尋あらは、腹を切, 被り、杖にて來り、頭巾著なから、四郎兵衞へ挨拶仕懸候故、四郎兵衞持た, 所に、高田の士追々十騎計驅集り、只門を打破れと、どうづきを懸狼藉する, せ人有間敷、只其身腹を切候と被成ては如何と云けれは、尤とて、書状を認, か、右喧嘩を聞付、各務四郎兵衞元峯を引取申さんと、大勢にて國境まて迎, 塚讀せて聞せし文體に、去ル十四日午刻、八伏村石山にて、各務四郎兵衞、細, 直しける、忠政君も、四郎兵衞儀は、切腹せずんば助可申ものと仰られしと, 伯州念吉に居申せし, 知行五, 千石、, 慶長九年是春, 一八七

割注

  • 知行五
  • 千石、

  • 慶長九年是春

ノンブル

  • 一八七

注記 (20)

  • 488,640,64,926に來り、元峯切腹を聞引取申也、
  • 724,632,65,1359云、此節伯州の領主中村一學衆安藤半右衞門
  • 1667,632,68,2216せんとて、家老物頭諸役人、大塚か屋敷にて、江戸への書状相認、總侍中へ、大
  • 1194,627,69,2224之推參、乍恐四郎兵衞殿は、公方樣へ御目見も致されたる仁也、其上其身腹
  • 1309,627,71,2221朝腹を切せ申由相認、此文能候哉と云けれは、小身者に玉木と云もの、末座
  • 1429,626,70,2220野左兵衞、小澤彦八喧嘩仕、細野、小澤兩人は即座に相果申候、四郎兵衞は、翌
  • 372,702,71,2148傳に云、石切出す節、各務四郎兵衞床机に懸り居る所へ、小澤彦八頭巾を
  • 1786,626,68,2219故、了簡なく門を明たると也、此節忠政君、御在江戸に而候へは、以飛脚言上
  • 1077,629,68,2220を被切候へは、腹を切せとありては、誰か切せ申たると御尋あらは、腹を切
  • 254,707,75,2139被り、杖にて來り、頭巾著なから、四郎兵衞へ挨拶仕懸候故、四郎兵衞持た
  • 1900,620,70,2222所に、高田の士追々十騎計驅集り、只門を打破れと、どうづきを懸狼藉する
  • 960,633,70,2220せ人有間敷、只其身腹を切候と被成ては如何と云けれは、尤とて、書状を認
  • 605,637,73,2211か、右喧嘩を聞付、各務四郎兵衞元峯を引取申さんと、大勢にて國境まて迎
  • 1548,625,71,2220塚讀せて聞せし文體に、去ル十四日午刻、八伏村石山にて、各務四郎兵衞、細
  • 843,627,67,2217直しける、忠政君も、四郎兵衞儀は、切腹せずんば助可申ものと仰られしと
  • 738,2215,56,632伯州念吉に居申せし
  • 764,2014,42,180知行五
  • 721,2017,40,119千石、
  • 148,708,49,260慶長九年是春
  • 167,2450,42,106一八七

類似アイテム