『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.110

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右衞門居て、此事を見て、いか成故に候哉と尋しに、我は段々年積るに、身の, 願はなし、子供の行末立身して、世上へ廣く名もしらるゝ樣に、守らせ給へ, かりけれは、扨醫師に見せけるに、是は急に直したる故也、内に虫わき出た, と祈る也、其身に當りたる星を祈れは、必惠みの有ると、昔より人の言傳へ, 酒にて洗、又ぬいて、終に本復せり、其後康政公御逝去被遊しかは、數千の軍, り、今壹度此所を切破り、療治せされは、誠の肌に成かたしと。云に付、切破り, 彼布を取て膓を引出し死したるとかや、追腹せし人も昔は多かりけるに、, 加樣成は珍敷事也、館林善導寺御廟の傍に墓有、法號を腹譽道切居士と云、, 兵を以て、何方之陣へも向はせられしに、今壹人も迷途え御供する者なし、, 我ら御供可申とて、御送葬之時、我宅にて腹を切、布にて上を卷、御供して後、, を御拜み被成候、天氣宜夜、必其通被成候、三州にての事也、隣家に竹内太郎, 此人さして別に御恩有し事共聞す、御別れをかなしみて死したりと、孫成, 人の語り侍る, たるまゝ、斯はする也と被仰し、太郎右衞門隣にて、家内の者毎度見奉りけ, 〔見聞隨筆〕二康政公御幼少の時分、御母公樣、毎夜更て屋根へ御登り、星, 康政ノ母, 其殉死ノ, 情状, 慶長十一年五月十四日, 一一〇

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  • 康政ノ母
  • 其殉死ノ
  • 情状

  • 慶長十一年五月十四日

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  • 一一〇

注記 (20)

  • 500,623,64,2211右衞門居て、此事を見て、いか成故に候哉と尋しに、我は段々年積るに、身の
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