『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.817

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永祿十二年、東照大權現今川, 北ニ陣シ玉ヒ、數百挺ノ火砲ヲ發シ、城ヲ攻ラル、城中ヨリモ鳥銃ヲ放チ守, 此とた家長敵を射はらふゆへに、豐前守死する事をまぬかれぬ、, 氏眞を攻、懸川の城を圍たまふとき、天王山にとりてをかまへ、攻たゝかふ、, 此節内藤豐前守銕炮にあたりそ倒、敵その首をとらんと城中より〓て出、, 藤八をもつて、その軍功を感美したまひ、且その〓をとはせたまふ, 敵味方互放弓鐵炮、于此久野一黨金丸山陣、, 一同正月十七日、家康公掛川天王山御進發、二藤山御籏立、御方諸軍竹束付、, 〔武徳編年集成〕十十七日、神君、再ヒ見付ヨリ掛川表へ御動座、天王山ノ, ○家康、懸川城ヲ攻ムルコト、十一年十二月二十七日ノ條ニ見ユ, 〔寛永諸家系圖傳〕八十内藤家長, 又放矢石戰終日止、, 〔參考〓, 〔御年譜附尾〕〓舊和學講談所本十七日、付竹束、搆鐵炮數百挺攻之、城兵, 〔治世元記〕, 〔治世元記〕〓祿十二己巳年記於掛川城外御合戰、并久野一族催一揆事, 彌次右, 録内藤紀伊守書上、, 衞門尉, 信成家傳異事ナシ、, 譜牒餘, ○下略, 三, 立ツトノ, 山ニ旗ヲ, 家康二藤, 家康見付, ヲ發シ懸, 川ニ至ル, 説, 永祿十二年正月十七日, 八一七

割注

  • 彌次右
  • 録内藤紀伊守書上、
  • 衞門尉
  • 信成家傳異事ナシ、
  • 譜牒餘
  • ○下略

頭注

  • 立ツトノ
  • 山ニ旗ヲ
  • 家康二藤
  • 家康見付
  • ヲ發シ懸
  • 川ニ至ル

  • 永祿十二年正月十七日

ノンブル

  • 八一七

注記 (32)

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