『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.221

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

麓に馳付、むらかる佐野かたを八方へ薙り散らし、新手の太刀先烈しきに、流石の佐, に出陣したる皆川の加勢、また五百餘騎はせ向ひ、山路の佐野勢討ちらし、諏訪山の, 軍歸小田原、傳曰、天正十四年, たに名有る勇士十七人、雜兵四十人討れたり、皆河方の勇士三十三人、雜兵二十九人, 討たれたりける、但し其頃は天正十三年酉の八月十八日なりと云り、, れ、討つ討れつ戰ふうちに、遠見のものは軍の趣を難儀なりと注進す、小野寺・田代, て大地にとつと落かさなり、日向野は高久を取て組押へ、鎧通しを拔き首を〓きおと, 度は時至らす、時節を待て責へしと、惣勢は皆川へと引とりける、其日の戰に佐野か, す内に、高久か家來馳せ寄りて、日向野か首を討たりける、落合雅樂は大勢に取込ら, 撃而不能拔之、我兵潛襲敵塞、敵兵大潰、時上杉景勝之援兵亦來逐敵兵、於是氏政大敗、, 野勢こらへかね、先つ一引と引退くうちに、日も西山ニ傾きけれは、皆河勢もまつ此, 照聞之、不日築城郭大平山、亦藤山搆城堡、潛入室家及諸士之老幼妻子、使長臣落合越, 〔長沼氏古文書解〕1, 秋、北條氏政聚關東諸將、督五萬兵欲攻皆川也、廣, 八月、北條氏政自督五萬兵攻皆川、故不日築城於大平山拒之、氏政數日攻, 同十四年, 十三年, 乎, 十三年, 乎、, 廣照大平山, 藤山ニ城ヲ, 川ニ歸ル, 佐野勢退キ, 皆川勢モ皆, 築ク, 天正十三年八月二十日, 二二一

割注

  • 十三年
  • 乎、

頭注

  • 廣照大平山
  • 藤山ニ城ヲ
  • 川ニ歸ル
  • 佐野勢退キ
  • 皆川勢モ皆
  • 築ク

  • 天正十三年八月二十日

ノンブル

  • 二二一

注記 (28)

  • 1390,734,59,2190麓に馳付、むらかる佐野かたを八方へ薙り散らし、新手の太刀先烈しきに、流石の佐
  • 1512,742,58,2174に出陣したる皆川の加勢、また五百餘騎はせ向ひ、山路の佐野勢討ちらし、諏訪山の
  • 385,674,57,794軍歸小田原、傳曰、天正十四年
  • 1026,737,59,2184たに名有る勇士十七人、雜兵四十人討れたり、皆河方の勇士三十三人、雜兵二十九人
  • 899,736,56,1747討たれたりける、但し其頃は天正十三年酉の八月十八日なりと云り、
  • 1635,741,60,2184れ、討つ討れつ戰ふうちに、遠見のものは軍の趣を難儀なりと注進す、小野寺・田代
  • 1883,744,58,2179て大地にとつと落かさなり、日向野は高久を取て組押へ、鎧通しを拔き首を〓きおと
  • 1149,734,59,2184度は時至らす、時節を待て責へしと、惣勢は皆川へと引とりける、其日の戰に佐野か
  • 1759,739,59,2184す内に、高久か家來馳せ寄りて、日向野か首を討たりける、落合雅樂は大勢に取込ら
  • 512,678,61,2257撃而不能拔之、我兵潛襲敵塞、敵兵大潰、時上杉景勝之援兵亦來逐敵兵、於是氏政大敗、
  • 1270,738,59,2181野勢こらへかね、先つ一引と引退くうちに、日も西山ニ傾きけれは、皆河勢もまつ此
  • 261,688,61,2228照聞之、不日築城郭大平山、亦藤山搆城堡、潛入室家及諸士之老幼妻子、使長臣落合越
  • 758,664,77,654〔長沼氏古文書解〕1
  • 386,1614,58,1305秋、北條氏政聚關東諸將、督五萬兵欲攻皆川也、廣
  • 641,1049,58,1872八月、北條氏政自督五萬兵攻皆川、故不日築城於大平山拒之、氏政數日攻
  • 641,677,52,224同十四年
  • 412,1481,46,125十三年
  • 370,1480,42,47
  • 667,911,43,121十三年
  • 622,900,42,56乎、
  • 325,333,41,211廣照大平山
  • 280,334,40,206藤山ニ城ヲ
  • 1239,336,39,159川ニ歸ル
  • 1328,336,40,210佐野勢退キ
  • 1283,336,40,212皆川勢モ皆
  • 236,333,41,77築ク
  • 146,841,45,425天正十三年八月二十日
  • 146,2405,44,105二二一

類似アイテム