『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.219

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川圖書・田澤舍人等貳百餘騎にて切立られ、皆河勢一生懸命、皆討死と覺悟し、太刀, より植竹備前守・清水左京之亮・吉澤四郎右衞門を大將として貳百餘騎又おし寄、津, これを相手と戰ふうち、西方より柏屋民部・田口攝津守・高久勘ケ由等大將として貳, 大將として貳百餘騎、一度にとつと押寄、鐵炮數十挺雷の落ることくに打掛、皆河勢, 〓り、只もみたをさんと、小野寺より山路を越へて、諏訪山の麓の伏勢に、興の聲を, 左右を防き、則二百餘騎を忍はせ置、亦中村の三方に貳百騎宛民部家に忍ひ居、伏勢, わつか百四五拾人、諏訪山の麓に置て待所へ、夫とも知らすして、皆河勢佐野方を見, に依て佐野家は皆河を大敵と心得て、家勢を出し相計て、小野寺と中村の境に山道の, 評定し、先小野寺口より葛生近所へ出陣と定め、責口の大將には落合筑前守・山田伊, 樂・小野勘ケ由・落合監物・中里源三郎・前野雅樂之助・臼井平次郎・須永監物・増, 揚て討て懸る、佐の勢防き戰ふうち、南方より若田部尾張守・安藤佐渡守・同豐前守, 百餘騎、又とつと押寄、横合より弓鐵炮にて責懸る、爰を先途と戰ふうち、葛生かた, 山九右衞門・小倉善之丞・長澤宗右衞門・渡邊源三郎等、都合五百餘騎を差向る、是, 勢守、先手之は牛久大和守・日向野民部少輔・風見與右衞門・中島彌十郎・落合雅, ニ向フ, ヲ忍バセ皆, 佐野氏忠中, 村邊ニ軍兵, 皆川勢葛牛, 川勢ヲ襲フ, 皆川家中ノ, 士奮戰ス, 天正十三年八月二十日, 二一九

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  • ニ向フ
  • ヲ忍バセ皆
  • 佐野氏忠中
  • 村邊ニ軍兵
  • 皆川勢葛牛
  • 川勢ヲ襲フ
  • 皆川家中ノ
  • 士奮戰ス

  • 天正十三年八月二十日

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  • 二一九

注記 (24)

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