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山城守へ注進したりける、, 〓老臣たる大拔、竹澤、津布久等の人々評定して、天徳寺は大坂秀吉方に, 雜兵八十人討まて、皆河方の侍拾六人、雜兵四拾人討れける、此由を皆河, 油斷なくそ居たりける、其日の戰には、小田原かたの勇士合て三拾一人、, なりと、如斯無道の心より、粟野城代の面々へ下知して、皆河領の分境の, 村々を、皆河の戰ひ中を幸ひ奪取らんと企ける、是によつて粟野の城代, 一過行し天正九辛巳年極月晦日の夜明方に、佐野家絶なんとす、是によつ, 綱の二男氏忠を乞受けて、宗綱の息女に嫁、佐野家の相續としたりける、, 舊臣のものも段々に暇を乞ひ、所々に落行、又皆川家へ隨身の者も數多, 意強く、家の納方宜しからすして、諸士の諫言をも用ひす、我儘無道成故、, 座すのみ來らす、法躰なり、詮方なく時の威勢に隨慕ひて、小田原北條氏, 共天徳寺へ此事を申達しけるに、天徳寺の心ニも叶はす、亦氏忠常に我, 討れけり、斯て其日も暮れ、精力も疲れ、双方引取り、陣屋にて篝火を焚き、, 粟野の城代皆河の境領を奪ふ事, 然, 天正十一二年七月十五日, 唐澤軍記ニは、大拔と隨慶寺還、謙信を語らへ、越後の侍を引入れ、時節, は受難、謙信は天正六寅三月卒たり、此氏忠の事は外二も説見ゑたり、, 佐野家ヲ, 天徳寺寶, 北條氏忠, 佐野家ノ, 佐野家斷, 絶トノ説, 天正九年, 嗣グ, 家臣氏忠, ニ服サズ, 衍, 天正十一二年七月十五日, 七八九
割注
- 唐澤軍記ニは、大拔と隨慶寺還、謙信を語らへ、越後の侍を引入れ、時節
- は受難、謙信は天正六寅三月卒たり、此氏忠の事は外二も説見ゑたり、
頭注
- 佐野家ヲ
- 天徳寺寶
- 北條氏忠
- 佐野家ノ
- 佐野家斷
- 絶トノ説
- 天正九年
- 嗣グ
- 家臣氏忠
- ニ服サズ
- 衍
柱
- 天正十一二年七月十五日
ノンブル
- 七八九
注記 (31)
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