『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.772

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山を搆へ, 堰留、堤を築き、茂木を立結廻し、北遠門を搆、大手口, 城として、五段に築き、前へ出丸を搆へ、城下に船有、是を名つけて、皆河の, 茂木を立て結ひ回し、遠門を搆へ大手口とし、西南の間に、小野口村より, として、西南の間と、小野口より小野寺へ、騎討の山合の前へ大城戸を立, 小野寺へ壹騎懸の山合有る所へ、大木戸を定て搦手口とす、此かことの, 七万六千五百三拾六人、皆川の城中ニ籠る、扨又皆河の城は、しろ地廣く, 内に、一里一里半の積りにして、中に四方は〓れし一ツの高き岡有しを, 岩出等乃人里ありて、半年や一年の兵粮は、外より入れすとも盡る〓無, す、佐野家、藤岡家の舊臣水谷等の家來、招かすして加り、其勢上下合さて, して、北は宮村、千手村に續く高山を引廻し、西は柏倉、葛生村の間ニ大山, て、東は出流山をそ水上として流れ出る大川を搆へ、堰留、出堤を築末、逆, く、差支なく、又大手口の外大皆河より領分廣く、東は栃木城内まて出張, 五段城とそ申ける、亦遠し固のうちに、志鳥村、小野口村、粕倉村、瀧の入村, 有り、是を横たへ、南は大平山より、山田、鷲巣、岩舟山迄引廻し、通路たる嶮, 有り、其内に五十ケ村程領所有り、南は大平山の嶺に遠見の櫓を建て、東, 天正十二年七月十五日, 二字衍カ、, ○以下五十, 段城, 皆川ノ五, 嶺ニ遠見, 大平山ノ, ノ櫓ヲ建, 天正十二年七月十五日, 七七二

割注

  • 二字衍カ、
  • ○以下五十

頭注

  • 段城
  • 皆川ノ五
  • 嶺ニ遠見
  • 大平山ノ
  • ノ櫓ヲ建

  • 天正十二年七月十五日

ノンブル

  • 七七二

注記 (26)

  • 1317,690,61,266山を搆へ
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