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る一〓の名とするは、却て非なるへし、さて此山は彼比ぬ神の鎭座る神山にして、其御社, に、御前といふは村より一里登る也、神名帳の手速比〓神社鎭座せりとありて、寶達をさ, 昔よりの故家と云、方今は其農民私に掘れとも費錢に負るよし、然れとも年分に金三兩を, は麓なる東間村にありける、神主は酒井氏にして、もと山の社も兼帶せしを中頃爭論の事, 人播言すといへとも年月を知る者なし、寶達に屋村今一百二十四戸ある内八十戸許は、往, 呼也、此山の凹處に釋迦の像を安置す、此山背は礪波郡界こて、田畑兵衞持山、羽昨郡澤, 川村也といへり、良見按るに、中央兀立の一〓と尊は、いはゆる寶達の御前とて、能登誌, 運上すと云、寶達は中央に兀立の一〓をいふを、世人は今〓池たる他山を遙合して寶達と, とられける公の票子等ありて、今に寶達村宗兵衞家に藏す、這寶達の礦山たりし事、今に世, 來因〓覽に、寶達の礦山は、天正十二年に始り四十五年相續して金出るといへとも、礦山の, 詳ならねと、能登の寶達山の傳説こいとよく似たりとやいふへし、, ありて、今は近邑上田村の山伏和銅寺祭祠を務めける故に、さる佛像をは置るなるへし、, 鋪十二ケ所崩堕ち、是より止れり、その年間の内さかんに金出る年は、大判三干五百枚請, 此寶達の金坑は、國初に起るのとならす、其金の出る事夥敷故に數ケ所に礦をひらかれ, 微妙公の御代寛永五年と至り其間四十五年熾に出たりとそ、, (前田利常), 天正十二年雜載, 三八〇
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- (前田利常)
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- 天正十二年雜載
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- 三八〇
注記 (18)
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