『大日本史料』 11編 12 天正12年雑載 p.381

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具の類多く持傳へり、銀を堀し頃には、繁昌して家數も多し、其銀を堀出せし處は、谷内, へる者は根元の者とて、今用來處の大釜は末森ノ城の釜なりといへり、其外此者の家に武, こあり、又金山の敷潰れし時人多く死したる故に今も雨の夜は人多して泪聲すると也、そ, 州寶達村建立、慶安四年移于金澤とありて、此寺の山號を金昌山といへるも、金山繁昌の, 意をとれるこてもあるへし、能登誌に、寶達村は家數八十軒計ありて町作りたる村也、中, 故に、金山開等もなし來りたるよし記し載たり、そのさき金礦盛ンなる比は、金山の神と, 〔越登加三州志〕, 頃金を掘し頃は、所々より來り集りし故ヒ、出所を人々家名に呼へり、中こも谷内藏とい, 昌せし頃なれは、此處へ移りたるにや、又金澤泉野日蓮宗興徳寺由來記に、正保元年於能, 若野村に居住、慶長元年寶達金山と退轉道場有之、寶達村へ引越とあるも、〓早金山の繁, れゆへ今も此處を泣谷といふといへり、此説に據れは、そのさき金銀ともに出たるにや、, 黄金ハ、天正十二年ヨリ四十ケ年ノ間、寶達山ヨリ出ル、想フニ此山名奥州ノ金華山ト同, 但銀の出たる事、古記と見へす、, て繋昌せしよし、今に傳言せり、又寶達村一向宗泉福寺の由來記を見るに、元ト能登郡般, 貞享二年に和銅寺より書出したる由來書に、慶長三歳より居住し、寶達權現の社務なりし, ○下略、慶長十一年寶達山ノ掟等, ニカヽル、加藩貨幣録、異事無シ、, 二十來因概覽一一, 能登國郡郷來因, 天正十二年雜載, 三八一

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  • ○下略、慶長十一年寶達山ノ掟等
  • ニカヽル、加藩貨幣録、異事無シ、
  • 二十來因概覽一一
  • 能登國郡郷來因

  • 天正十二年雜載

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  • 三八一

注記 (21)

  • 811,602,73,2287具の類多く持傳へり、銀を堀し頃には、繁昌して家數も多し、其銀を堀出せし處は、谷内
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  • 1240,596,70,2286州寶達村建立、慶安四年移于金澤とありて、此寺の山號を金昌山といへるも、金山繁昌の
  • 1139,601,72,2287意をとれるこてもあるへし、能登誌に、寶達村は家數八十軒計ありて町作りたる村也、中
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