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諸記に載る, 濱松御在城記四五の兩日にかけしは、もとをのつから一説なり、今松平記, 宮よりも其豆を仰つかはさると記せしは、兩説を併せて記せしなるへし、, 〔朝野舊聞裏藁〕, 録は五日、七日とし、武徳大成記は、四日、五日、七日に係け、家忠日記増補には, ありし將士の名を加へ記せしかと、寛永譜、貞享書上等を〓するに、實は戰, ひ奉りしと記す、官本三河記、武徳大成記に、氏眞より和を乞ふにより、東照, 業記、濱松御在城記、治世元記、武徳編年集成には、四日、五日兩日に係け、紀年, 宮より和睦を謀り給ひしなり、本多家武功聞書には、今川氏眞より和を乞, 併せく記せしは、撰者の臆斷に出しなるへし、故に今をの〳〵別に出す、, 等に從ふ、又武徳大成記、武徳編年集成に、本文に記す所の外、味方にて軍功, 五日とす、かく諸説一ならされとも、七日とするもの其實を得しなるへし、, 功の場所及ひ前後の次第等は、家にも傳へを失ひしと知らるゝを、こゝに, 三河物語、官本三河記、御年譜附尾、三河記大全、甲陽軍鑑等には七日とし、創, 所、互に異同あり、其大意をいはゝ、松平記、奧平家傳記、落穗集によれは、東照, 朝野舊聞衷藁, 此城攻、松平記, 按ずるに, 按ずるに, ○本文、家康、氏眞講, 九十四, 東照宮五十一, 東照宮五十一, 和ノコトニカヽル, ○本文、懸川城攻, 九十三, ノコト二カル, ル諸記ノ, 日ニ關ス, 異同, 合戰ノ時, 永祿十二年三月八日, 五一
割注
- ○本文、家康、氏眞講
- 九十四
- 東照宮五十一
- 和ノコトニカヽル
- ○本文、懸川城攻
- 九十三
- ノコト二カル
頭注
- ル諸記ノ
- 日ニ關ス
- 異同
- 合戰ノ時
柱
- 永祿十二年三月八日
ノンブル
- 五一
注記 (33)
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