『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.61

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牛尾不相叶引退、鹿之助等虎口之難を遁れて、漸本陣え迯歸候事、, 伯州經悟院ゟ勝久は飛札ヲ以、早々當國於御發向は、各先陣可仕与言送る, も、終こ打負る、隱岐守は、小船と乘て海上え退候、山中抔も其後山林ゟ出而, 關え押渡る、爲清は山之手を肝要こ固めて、究竟之者共を遣し、我身は四百, 處と、横道、松田跡船こて押付、拔掛こ先勢崩れ候を聞そ、迯る味方こ引違、隱, 左衞門、眞野田平等二百餘人打出而相戰ふ、鹿之助〓立られ、三保關之明神, 岐守陣え懸る、隱岐守人數は迯る敵を追行、纔五十餘人殘居候而防けれと, 押懸、不意を可討とて、山中、立原、横地、松田以下四百餘人小船こ乘而、三保之, 迄迯れ候、追詰討たんとすれとも、茂りたる林え皆迯隱と付、討洩し候、左候, え、山中鹿之助、立原、遠藤、疋田、二百餘こて船ゟ上り押懸候、隱岐兵部。中畑藤, 計こて三保關寺こ宿陣し、敵之來る〓き方え可向とく、油斷して居たる處, こ付、勝久不日ニ可有發向と被相定候處、隱岐爲清、勝久を背き、米子町を燒, 立しかは、先爲清を退治可有と定る、彼は眞野嶽を堅むへし、船とて夜中こ, る、牛尾彈正返し合、追懸々々申候、富田方之足輕と、神代と申者能働候と付, 付、三保關合戰之吏, ヲ攻ム, 勝久ニ背, 隱岐爲清, 幸盛等之, ク, 永祿十二年七月三日, 六一

頭注

  • ヲ攻ム
  • 勝久ニ背
  • 隱岐爲清
  • 幸盛等之

  • 永祿十二年七月三日

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  • 六一

注記 (22)

  • 1800,644,64,1917牛尾不相叶引退、鹿之助等虎口之難を遁れて、漸本陣え迯歸候事、
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