『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.275

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總、上總、殊に謙信と氏康無事に候へは、東上野も北條方にて候、信玄公御, せ乃合戰は、信玄公御勝利疑有間敷候、追手乃一戰武田乃理運ならは、搦, さる〓く候、其時高坂彈正甲州郡内よ利深澤すちををし出、深澤、足柄乃, 後口のをさへ多いるましく候、二三千指置、馬場美濃守眞木の嶋に殘し, め申へき物をと、明暮穿鑿、大將家老共に可存候、其上謙信は、上杉家の侍, 手小田原發向の高坂彈正も引とる事、子細有間敷儀と評議被成候、高坂, 大將とも一味仕り、氏康は伊豆、相模はかりになられ候、此たひは、武藏、下, 兩城をかせめにするか、さなくは押をゝき、小田原へ彈正働候はゝ、見ま, れ、はくれ候はゝ、ぼく井の城に押をゝき、氏康と見ませにそ、又御對陣な, 合て七八千乃人數をもつて支度仕り、見ませにをひて、信玄公合戰なさ, 四郎乃彈正相備、其外信州にのこしをかるゝ者五六千も有〓く候、其衆, たまへは、信州之事はあふなけ無之候間、彈正手前の同心被官に、河中嶋, 彈正申は、小田原迄の深働は、思食とゝまりなさる〓く候、其子細は、十年, 道を御歸陣とさためらるゝ也、高坂彈正は川中島へ歸、十月に成候者、越, 先庚申に、越後輝虎に小田原へ押こまれ、如此いたし候はゝ、謙信を打と, 永祿十二年十月六日, 牽制セシ, 虎綱出兵, 柄方面ヲ, 高坂虎綱, ヲシテ足, メントス, ヲ諫ム, 永祿十二年十月六日, 二七五

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  • 牽制セシ
  • 虎綱出兵
  • 柄方面ヲ
  • 高坂虎綱
  • ヲシテ足
  • メントス
  • ヲ諫ム

  • 永祿十二年十月六日

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  • 二七五

注記 (25)

  • 271,698,70,2122總、上總、殊に謙信と氏康無事に候へは、東上野も北條方にて候、信玄公御
  • 969,705,71,2127せ乃合戰は、信玄公御勝利疑有間敷候、追手乃一戰武田乃理運ならは、搦
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