『大日本史料』 10編 7 元亀2年10月~同年雑載 p.300

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に被入、只今御手前の國々合候へは、十ケ國に及候間、氏政と御無事ゐ必, は多賀谷、宇都宮、安房此侍衆ゐ、氏康に仕詰られ、前々より當方へ御音信, 麦申ましく候、只今さへ高坂彈正六七千乃人數をもつて、越後の内〓、五, 相止られ、當冬より小田原面へ御出陣候はゝ、御手間をとらるゝ分にて, も、來未の正月中に御〓を明らるをく候、北條家もち分城々乃御仕置、又, 以來の〓く思食、小田原領分近邊乃御仕置、未の三月中旬には、越後謙信, 領分東上野迄御手に入申〓く候、輝虎も其上りらは、信玄公へ〓てはつ, は有間鋪候、縱異儀申され候共、三年の内に御したりへ有へく候、佐竹は, なり、勿論北條家を押つふす事手間取儀有ましく候、子細は去年小田原, 法印我脈を取、大事の煩有〓しと申〓く、次第に氣力衰、心地よき事まれ, なり、り樣にこれあらは、信玄在世十年有問鋪候、然は人は一代名は末代, 〓らそひ故、只今御不通なれとも、北條家を押破なされ候はゝ、是も相違, 申され候間、無異儀御籏下に被罷成申〓く候、佐竹は御書日付と名書乃, 里十里はゝ働候へ共、さのみあやうた事無之候、小田原へ御働急給へと、, 何もいさめ申上る、信玄公被仰は、各異見尤なれとも、三年先展の年、板坂, 元龜二年是冬, 洛ヲ急グ, ヲ以テ北, 信玄ハ上, スルヲ可, 條氏ト和, 多賀谷氏, 言ス, 等ハ信玄, ニ參陣ス, キ旨ヲ進, ベシ, トナス, 三〇〇

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  • 洛ヲ急グ
  • ヲ以テ北
  • 信玄ハ上
  • スルヲ可
  • 條氏ト和
  • 多賀谷氏
  • 言ス
  • 等ハ信玄
  • ニ參陣ス
  • キ旨ヲ進
  • ベシ
  • トナス

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  • 三〇〇

注記 (29)

  • 1818,770,66,2113に被入、只今御手前の國々合候へは、十ケ國に及候間、氏政と御無事ゐ必
  • 1470,765,65,2125は多賀谷、宇都宮、安房此侍衆ゐ、氏康に仕詰られ、前々より當方へ御音信
  • 774,774,64,2119麦申ましく候、只今さへ高坂彈正六七千乃人數をもつて、越後の内〓、五
  • 1702,763,64,2126相止られ、當冬より小田原面へ御出陣候はゝ、御手間をとらるゝ分にて
  • 1586,764,66,2124も、來未の正月中に御〓を明らるをく候、北條家もち分城々乃御仕置、又
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