『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.322

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〓との士卒討死す、其不意を討つときは利あり、再往の不意はしかるべか, 天花寺勢黒部に出て夜討し、花々しく相戰といふ、, ちらし、分取高名し、首數おほくうち取る、これによつて、舟江方武名をあら, めんとめ、信長卿先勢に下知して呼かへさるゝ時、舟江の本多勢、森、中西、山, んとし給ひ、山ぎはに付て、勢を通さると云々、昨廿六日の夜、阿坂の城をせ, はす、又廿七日の夜、信長勢大河内に寄する時、舟江の侍昨夜の如く小金塚, 同廿八日、信長卿七万餘の軍兵を以て、大河内の城をかこみ給ふ、彼城は勝, らに、今夜の打出味方の不覺なりと、山邊次郎右衞門尉達て制すれども、大, 邊、高嶋、大門、齋藤以下打て出、勾と深長との間小金塚に於て、織田勢をかを, に打て出、これを遮る、信長卿の先勢か手て用意し、待うをせめ戰ふ故に、舟, 門六郎右衞門昨夜のうち出に逢はさる〓を悔く、如此にすゝめしなり、其, 地にして七尾七谷あり、南方を大河内といひ、北方を野津と云、大木しきり, 江勢敗走して、一志郡の侍長藤十郎左衞門、同子息善七、藥師寺芳清以下む, 後又信長卿の味方東海舟手の侍共、舟より上る所を、舟江の本多勢、曾原の, 大河内責の事, ヲ襲ヒ之, 大河内城, 信長ノ軍, 本多親康, ノ形勢, ヲ破ル, 永祿十二年十月十一日, 三二二, 永祿十二年十月十一日

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  • ヲ襲ヒ之
  • 大河内城
  • 信長ノ軍
  • 本多親康
  • ノ形勢
  • ヲ破ル

  • 永祿十二年十月十一日

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  • 三二二
  • 永祿十二年十月十一日

注記 (24)

  • 1007,637,59,2201〓との士卒討死す、其不意を討つときは利あり、再往の不意はしかるべか
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