『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.323

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り番を柵ぎはに置、晝夜ゆだんなく用心しき、敵の夜討を防ぎ給ふ、, 信長卿かこみ給ふ、敵味方の弓鉄炮疾風雷雨のどし、其日より兩方いさみ, あらそひ、數日せめ戰といへども、更に落城さず、これによつて信長卿まは, の軍勢四方の山に陣す、本陣は東方桂瀬山なり、又此所を戀の山ともいへ, 大竹生に、追手を廣坂と名づをて北方なり、からめ手を龍藏庵坂といひて, 戰數刻に及て、日置城中に引退く、同廿九日の曉より、大河内の城の四方を, れ共、敵の大軍におそれ、すみやかに打いづる者なし、例の舟江のあぶれ者, どもばかりあつまり、同九月上旬、丹生寺に夜打す、此所は市場、寺井の北方, 南方なり、西に養徳寺あり、火をはなつて燒く、東方には大河内川あり、織田, 國司か〓て遠方に下知をくはへ、信長卿の陣所へ夜討さんとし給ふ、しか, り、すでに其夜にいたつて、池田勝三郎信輝、廣坂口、市場の宿を破る、日置大, にて、みのゝ國大垣の城主氏家常陸入道卜全の陣所なり、夜更て不意に打, 舟江夜討の事, 膳亮爰をたもち、諸さふらひ與力す、池田が先陣土倉四郎兵衞、八木笹右衞, 門時を作て責かゝる、日置勇をはきまし防ぎ戰ひ、家木主水助も高名す、合, 合戰ノ状, 況, 永祿十二年十月十一日, 三二三

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  • 合戰ノ状

  • 永祿十二年十月十一日

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  • 三二三

注記 (19)

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