『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.426

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攻取るへしと也、是は元就本國の亂を聞て、九州亂入の軍勢を引あけば、, シ給ヒケリ、, 豐後の國に浪々なりしを、此節取立て本國に歸り、毛利家留守の國々を, 貞矢矧ノ橋ヲ渡リシ有樣ト一般ナル振舞ヲコソ成ツラメ、渠ハ天性孫呉, を將として、騎馬五拾、雜兵千餘人、弓鐵炮二百餘挺指添、兵船數十艘に取, 兩方より挾んて討取るへしとの宗觀か計策也、案の如く、周防長門の士, 乘て、周防の地に渡しける、此輝弘は大内義隆の從兄弟にて、天文の亂に, ニ道ノ程五六里計後レテ長府へ著給ケレハ、元就朝臣大ニ悦給テ、隆景、隆, 力髓ヲ得タリトソ宣ヒケル、カヽリケル處ニ、同十八日ノ晩景、元春ハ隆景, 家ト一度ニ對面シ給ヒ、立華ノ合戰、又引拂給樣體委敷尋子給ヒ、其後吉見、, 盆田已下ノ國侍、又福原、桂ノ者〓ニ對面シ給テ、此程ノ軍中ノ戰功ヲ感稱, 兎角して秋も末になりける頃、大友家, 卒十か八九筑紫在陣せしかは、輝弘は舊臣を相催し、所々の城を攻落し、, の權臣吉原宗觀か謀にて、大内太郎左衞門輝弘、同四郎左衞門武弘父子, 〔薦野家譜〕一毛利勢再九州へ渡海乃事, ○中略、小早川隆景等、宗麟ノ兵ト, 立花城ニ對陣ノコトニカヽル, 永祿十二年十月十五日, 四二六

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  • ○中略、小早川隆景等、宗麟ノ兵ト
  • 立花城ニ對陣ノコトニカヽル

  • 永祿十二年十月十五日

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  • 四二六

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