Loading…
要素
割注ノンブル
OCR テキスト
攻取るへしと也、是は元就本國の亂を聞て、九州亂入の軍勢を引あけば、, シ給ヒケリ、, 豐後の國に浪々なりしを、此節取立て本國に歸り、毛利家留守の國々を, 貞矢矧ノ橋ヲ渡リシ有樣ト一般ナル振舞ヲコソ成ツラメ、渠ハ天性孫呉, を將として、騎馬五拾、雜兵千餘人、弓鐵炮二百餘挺指添、兵船數十艘に取, 兩方より挾んて討取るへしとの宗觀か計策也、案の如く、周防長門の士, 乘て、周防の地に渡しける、此輝弘は大内義隆の從兄弟にて、天文の亂に, ニ道ノ程五六里計後レテ長府へ著給ケレハ、元就朝臣大ニ悦給テ、隆景、隆, 力髓ヲ得タリトソ宣ヒケル、カヽリケル處ニ、同十八日ノ晩景、元春ハ隆景, 家ト一度ニ對面シ給ヒ、立華ノ合戰、又引拂給樣體委敷尋子給ヒ、其後吉見、, 盆田已下ノ國侍、又福原、桂ノ者〓ニ對面シ給テ、此程ノ軍中ノ戰功ヲ感稱, 兎角して秋も末になりける頃、大友家, 卒十か八九筑紫在陣せしかは、輝弘は舊臣を相催し、所々の城を攻落し、, の權臣吉原宗觀か謀にて、大内太郎左衞門輝弘、同四郎左衞門武弘父子, 〔薦野家譜〕一毛利勢再九州へ渡海乃事, ○中略、小早川隆景等、宗麟ノ兵ト, 立花城ニ對陣ノコトニカヽル, 永祿十二年十月十五日, 四二六
割注
- ○中略、小早川隆景等、宗麟ノ兵ト
- 立花城ニ對陣ノコトニカヽル
柱
- 永祿十二年十月十五日
ノンブル
- 四二六
注記 (19)
- 405,709,62,2149攻取るへしと也、是は元就本國の亂を聞て、九州亂入の軍勢を引あけば、
- 1235,655,55,341シ給ヒケリ、
- 519,711,65,2131豐後の國に浪々なりしを、此節取立て本國に歸り、毛利家留守の國々を
- 1800,647,72,2202貞矢矧ノ橋ヲ渡リシ有樣ト一般ナル振舞ヲコソ成ツラメ、渠ハ天性孫呉
- 749,714,65,2130を將として、騎馬五拾、雜兵千餘人、弓鐵炮二百餘挺指添、兵船數十艘に取
- 291,715,60,2124兩方より挾んて討取るへしとの宗觀か計策也、案の如く、周防長門の士
- 633,712,64,2126乘て、周防の地に渡しける、此輝弘は大内義隆の從兄弟にて、天文の亂に
- 1569,661,68,2187ニ道ノ程五六里計後レテ長府へ著給ケレハ、元就朝臣大ニ悦給テ、隆景、隆
- 1687,656,69,2190力髓ヲ得タリトソ宣ヒケル、カヽリケル處ニ、同十八日ノ晩景、元春ハ隆景
- 1455,646,68,2214家ト一度ニ對面シ給ヒ、立華ノ合戰、又引拂給樣體委敷尋子給ヒ、其後吉見、
- 1332,647,71,2207盆田已下ノ國侍、又福原、桂ノ者〓ニ對面シ給テ、此程ノ軍中ノ戰功ヲ感稱
- 981,1718,59,1128兎角して秋も末になりける頃、大友家
- 176,721,62,2138卒十か八九筑紫在陣せしかは、輝弘は舊臣を相催し、所々の城を攻落し、
- 862,720,68,2123の權臣吉原宗觀か謀にて、大内太郎左衞門輝弘、同四郎左衞門武弘父子
- 1094,595,96,1323〔薦野家譜〕一毛利勢再九州へ渡海乃事
- 1015,723,48,956○中略、小早川隆景等、宗麟ノ兵ト
- 974,730,43,894立花城ニ對陣ノコトニカヽル
- 1930,732,44,418永祿十二年十月十五日
- 1920,2436,44,122四二六







