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請取入替申候、杵月右馬丞、秋友式部、田北等數十人贈り出、路次と大幕を打、, の士卒一人も〓をす、船に乘せて長門の國へそ送りける、是は此春臼杵、, 圍みて攻けれは、浦兵部小勢にて防き難く思ひをれは、城を渡し、切腹す, の城に籠り、勇戰して忠烈を勵まし、其後臼杵、田北等と共に、豐後魁將の, へき由をを申ける、宗麟に此由注進し、下知に任せて、浦兵部を始め、中國, 、斯て豐後勢立花の城を、十重廿重に, 田北を毛利家より助けられし報謝とそ聞えける、此戰に薦野増時立花, 振舞を仕、馳走不大形、中々大酒こて暇乞仕、無異儀下關え罷歸候、御感悦不, 由、感悦候、彌於被勵忠貞者、追而一段可嘉之候、恐々謹言、, 淺、上下共と譽物と仕候、右之通取扱之書状、使は吉松宮内と申者也、, 摩下に屬し、數度の軍勞ありける故、宗麟より感書を贈る、其文に曰、, 去年立花城難儀之砌、從最前遂籠城、無緩勤番殊外之働等、別而馳走之, 〔薦野家譜〕一毛利勢再九州へ渡海乃事, 御判, シナ, 七月廿九日, ○藝陽, 記異事, ○中略、吉川元春等、立花城ヲ退ク, トニカヽル、十月十五日ノ條ニ收ノ, (宗鱗), 義鎭, スベキ旨, 宗勝開城, ヲ大友氏, 薦野増時, ノ軍ニ通, シテ切腹, ノ戰功, ズ, 永祿十二年十一月二十一日, 七月廿九日, 六一八, 永祿十二年十一月二十一日
割注
- ○藝陽
- 記異事
- ○中略、吉川元春等、立花城ヲ退ク
- トニカヽル、十月十五日ノ條ニ收ノ
- (宗鱗)
- 義鎭
頭注
- スベキ旨
- 宗勝開城
- ヲ大友氏
- 薦野増時
- ノ軍ニ通
- シテ切腹
- ノ戰功
- ズ
柱
- 永祿十二年十一月二十一日
- 七月廿九日
ノンブル
- 六一八
- 永祿十二年十一月二十一日
注記 (34)
- 1807,644,62,2216請取入替申候、杵月右馬丞、秋友式部、田北等數十人贈り出、路次と大幕を打、
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