『大日本史料』 10編 5 元亀元年10月~2年2月 p.949

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にも過さす、しうの室をわか妻にむかへとり、則堀次郎秀村がをは聟と號, 氣ヲ勵シ、堅固ニ守テ在ケルカ、次第ニ士卒ノ氣モタユミ、逐日勢モ衰へ、逐, 月便ナク成行ハ叶難シト思廻〓、信長卿へ降參申上シニ、サラハ先佐和山, ノ城ヲ開渡可申旨被仰ケレハ、元龜二年二月ニ城ヲ開渡シ、我身ハ同國高, を見よやと、式部が聞きりぬほとにいふものありしとりや、嶋又四郎は澤, ばを見て、舊妻は其事となく勞療を煩ひ、終にはりなく成しかは、中陰をた, 嶋城ニ移テ、降人ナレハ、何ナル忠ヲ致〓カ、御氣色ニ預ラントソ謀ケル、佐, して信長へ罷出、五百石給ひしりは、是を見たる人々、山芋の〓になりたる, 城ノ堀秀村ニ屬スルコト、及ビ小法師ノ進退ノコト、便宜左ニ合敍ス、, 小谷滅亡の躰を見て、遠藤喜右衞門尉り妹を見ふるし、情もしらぬありさ, 去程に、田式は野村より澤山の城へは不籠、今井後家をたのみ、堀にくみし、, 和山城ニハ、近邊五萬貫ノ所領ヲ差添テ、丹羽五郎左衞門尉長秀ヲ居置ル, ○近江箕浦ノ今井小法師, ノ臣田那部式部丞及ビ島秀親、同國鎌刄, 〔島記録〕〓近田那部式部丞、嶋久右衞門尉進退の事, ニカヽル、五月六日ノ條ニ收ム, ○下略、長政、鎌刄城ヲ攻ムルコト, 象, 秀, 田那部式, 部丞佐和, 山ニ籠城, 後信長ニ, セズ, 仕フ, 元龜二年二月十七日, 九四九

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  • ニカヽル、五月六日ノ條ニ收ム
  • ○下略、長政、鎌刄城ヲ攻ムルコト

頭注

  • 田那部式
  • 部丞佐和
  • 山ニ籠城
  • 後信長ニ
  • セズ
  • 仕フ

  • 元龜二年二月十七日

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  • 九四九

注記 (27)

  • 494,651,71,2191にも過さす、しうの室をわか妻にむかへとり、則堀次郎秀村がをは聟と號
  • 1893,668,70,2190氣ヲ勵シ、堅固ニ守テ在ケルカ、次第ニ士卒ノ氣モタユミ、逐日勢モ衰へ、逐
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