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とるなり、少をそた故、敵を一人もうほ事れし、其後家康五千許乃人數を, すおとき、甚平牛川口の門にをひて鑓をあはせ、首級十七八をえて、大權現, りて仕、家康衆防ぬる、惣軍をもつて大手へよせられ、そのうへ搦手へ三, 川山家三方、小笠原掃部大夫、山縣三郎兵衞尉、五頭働を見て、城をあけ引, 樣御前近所ニ而傳四郎組討仕、片腕被討落、御奉公淺難仕處、御歸陣以後、, に獻す、そのゝち信玄兵を引て退くとた、酒井左衞門尉ならひに甚平參州, 大村にをひて又合戰し、首をとる事百餘なり、大權現これを御覽して、兩人, 以酒井左衞門尉、難有上意ニ而、本知無相違拜領仕、一生無役ニ而罷在候、, それを, 軍功ある事を感したまふ、, はまつさしをりれ、吉田へ御馬をむ素られ候へは、にれんきと云所にと, 天正年中、武田信玄二連木に出張, 〔譜牒餘録後編〕, 五月、武田信玄東三河え出馬、一ノ宮こ而御合戰之節、權現, 〔寛永諸家系圖傳〕百九戸田某, 一元龜二年幸未, 元龜二年四月二十九日, 〔譜牒餘録後編〕〓材〓三榮平主計組一曾祖父傳四郎吉談、, 〓〓, 〔參考〕, 〔甲陽軍鑑〕〓, 組一曾祖父傳四郎吉關, 攻ムルコトニカヽル、本月十九日ノ條ニ收ノ, ○中略、信玄、足助城ヲ陷レ、進ンデ菅沼定盈〓, 二十三松平主計組, 彈正、, 小林十三郎, 甚平、, 之下, 十一, 小林吉勝, 一宮合戰, ニ功アリ, 一九三
割注
- 攻ムルコトニカヽル、本月十九日ノ條ニ收ノ
- ○中略、信玄、足助城ヲ陷レ、進ンデ菅沼定盈〓
- 二十三松平主計組
- 彈正、
- 小林十三郎
- 甚平、
- 之下
- 十一
頭注
- 小林吉勝
- 一宮合戰
- ニ功アリ
図版
- 一九三
注記 (34)
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