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られ、杉浦左太郎か子四郎左衞門に父か遺領を賜ふ、, をして内藏助か旗の扱ひを賞, 人や多かりはん、中流まて乘出しけるか、次第に沈み、水は深し流は急也、彼, は、兩人一番に神崎川をそ越たりにる、是を見て大隅組の騎士平井庄三郎, の士村山又左衞門、船戸角左衞門兩人に掌らせ、何時も先をせよと申けれ, 源左衞門兩人も追續て渡りつゝ、香西か旗貳本渡せしを取て押立、彼三人, 同彌五郎、杉浦左太郎以下十人計、小船に取のりたるに、船や損したりけん、, 日、興國公の軍勢、俄に神崎川を渡る、中にも梶浦大隅は四十挺の鳥銃を組, 是といふ間もなく、あへなくも神崎川乃底のみく〓と成てたり、興國公大, 藏助も川打越し、東の方に人數を備ふ、此手の旗なみ、他に勝れてみへたれ, 下知して先に進む、外よりは香西か先陣とそ見へたり、これに續て日置内, 備をかりて有たる、湯淺藤右衞門はやく川向に渡り着、岩越惣左衞門、明石, に惜み給ひ、やかて天滿の御陣にて、平井少三郎か弟安兵衞に、兄か家繼せ, は、興國公使番齋藤織部, 續て跡に渡しける香西縫殿助は、日置豐前か跡備なりたるか、縫殿助に, 遣有まし、最早山城參に及はすとの命也、故に引返し、本乃陣に歸ける、同七, 齋藤は黒母衣に金, の切團のたし也、, 説に船乘しつめし, ハ、翌年夏陣の時と云、, 詳, 未, 玄隆ノ兵, 玄隆ノ軍, 渡ル, 河中ニ溺, 神崎川ヲ, 死ス, 慶長十九年十一月七日, 八五七
割注
- 齋藤は黒母衣に金
- の切團のたし也、
- 説に船乘しつめし
- ハ、翌年夏陣の時と云、
- 詳
- 未
頭注
- 玄隆ノ兵
- 玄隆ノ軍
- 渡ル
- 河中ニ溺
- 神崎川ヲ
- 死ス
柱
- 慶長十九年十一月七日
ノンブル
- 八五七
注記 (30)
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