『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.1113

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り籠城す、五百藏左馬進は桑名太郎左衞門か二男殿次と言しを、豐後にて, 々にて軍功有しか、流石其俊政子孫ほと有けるよと惜まぬものは無り, 病死したりにるとかや、久間豐後俊朝は、是も和泉守に仕て有けるか、盛親, り、吉田孫左衞門は盛親沒落の後も土佐國に居たりしを、一豐公召出され, 家老山内備後か與力に成し置れたるか、四人共に偸に國を忍出、大坂へ登, しかは、詮方なく牢浪して暮す所に、再關東勢向ふを聞て、籠城せんと思立, 父久万兵庫俊政は、無双の強力勇猛の名を顯はし、元親に仕へ、四州其外所, 大坂へ立越けり、童名右近と言しかは、又改て右近とそ申〓る、黒岩治部左, の籠城を聞く勢州を立去、大坂へ趣、彼方此方する程に、御扱に成て和談調, 衞門、其子玄蕃、南部太郎左衞門、本山次郎左衞門も、一豐公召出し領知賜り, 坂落城せしかは、口惜き事に思ひ自害してたり、行年十七歳とそ聞へし、祖, 々陳して死を遁れ、國を立退、大和國に居たりしかの、舊主の籠城を聞て、急き, けるか、不慮も重病に犯され、進退心に任せねは、療養して日を經る程に、大, し所に、浦戸の一揆の大將也と讒言有て、既に誅せらるへきに極りしを、樣, 伯耆國に居たりしを、忠義公此由を聞及玉ひ、召出知行賜りしか、幾程なく, 五百藏左, 吉田孫左, 衞門, 久間俊朝, 馬進, 元和元年五月六日, 一一一三

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  • 五百藏左
  • 吉田孫左
  • 衞門
  • 久間俊朝
  • 馬進

  • 元和元年五月六日

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  • 一一一三

注記 (22)

  • 274,645,64,2222り籠城す、五百藏左馬進は桑名太郎左衞門か二男殿次と言しを、豐後にて
  • 1098,650,58,2210々にて軍功有しか、流石其俊政子孫ほと有けるよと惜まぬものは無り
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