『大日本史料』 10編 7 元亀2年10月~同年雑載 p.119

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とらく迯申間、是は不審に候、下大隅之敵ならんを、こしまをさし而、船可, 船數如何程しらす、神瀬ゟ押出し、赤野尾の燃之脇ゟも、同前こ舟を出し、, 方之舟者討取と相見得候而、雲州老小舟ゟ御みつき被成、らたの如く御, のわらへ舟をりくシ置、左候而、右之はさ間に伏兵仕候、又野尻之燃之岩, 戰ひ候へとも、敵多勢に候故、野尻の内山宮崎に舟を著、御のき被成候、右, 參りと存、舟をひらへ申候へ者、神領にらい壹ツぬきならすと存候へは、, 左候處に、味方の萩原又左衞門殿と申人、二之介殿の矢に當り、相果被申, え小舟をいくはくともしらす乘掛參候而、神領シテつまりの時分神瀬, 横山助八り舟に押懸參候、中にも下大隅の舟大將田上二之助殿間近く, 間に舟を引りけ候而、ぬしくさ仕候、左候而、小舟一艘ニ人二三人乘候而、, 舟を押掛、散々に矢を射掛往れ候、助八もらたの〓く射はらひのき申候、, からす島え參、つりのぬしと仕候を、かくこの外ニ而、横山助八申候者、下, 舟一艘に人五人乘參候へ者、敵迯申候間、仕合ニ追掛り參候と、殊之外沖, 候、皆々船中之者危く御座候處に、横山城ゟ鎌田出雲殿御覽候而、扨又此, 大隅之敵と見候而、からすり島え參候を、我々罷渡討取可申と申候く、小, 元龜二年十一月二十日, 衞門戰死, 萩原又左, 横山助八, ノ戰功, ノ戰, 神瀬野尻, 元龜二年十一月二十日, 一一九

頭注

  • 衞門戰死
  • 萩原又左
  • 横山助八
  • ノ戰功
  • ノ戰
  • 神瀬野尻

  • 元龜二年十一月二十日

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  • 一一九

注記 (24)

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