『大日本史料』 10編 10 元亀3年8月~同年12月 p.258

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落城以後頽破せり、故に爰にうつし侍、抑當時の開基は、三澤六郎三郎爲長なり、三澤の, 二神、行基の刻彫なり、往昔、龜嵩の城邊に、延年院といふ小菴あり、此寺の本尊なり、, ○爲清、亡母ノ位牌免トシテ、出雲三澤本郷等ヲ、覺融寺ニ寄進スルコト、三月, 庄に建立して、同等和尚を開山とせり、天文廿二年秋八月、三澤左京亮爲清、龜嵩の郷, 門・朱〓・石階、善盡美つくせり、年々零落して、石垣今纔にのこれり、三面は山につら, なり、白櫻・青松相ましはり、春は花下に游宴して、王安石か山櫻を抱て、松枝に映す, 三澤氏の元祖六郎三郎爲長の守本尊といひつたふ、此外藥師如來、長一尺四寸、脇立十, るの句を吟詠する者おほし、南には清川の流あり、鎭守稻荷の社、何人の勸請といふ事, に再建して、南華和尚を中興とす、古老傳日、昔は、本堂・方丈・庫裡・客殿・廊下・樓, 覺融寺禪宗、運龍山と號す、本尊阿彌陀如來、立像、長八寸、弘法の作なり、此如來は、, 中湯野, 〔參考〕, 二十四日ノ條ニ見ユ、, 〔雲陽志〕, ト覺融寺參侍者御中為清, "ト覺融時参侍者御中, 元龜三年十月十日, 略, 仁多郡, ○中, 元龜三年十月十日, 二五八

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  • 仁多郡
  • ○中

  • 元龜三年十月十日

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  • 二五八

注記 (22)

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