『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.73

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が家督をつがしめたまふ、正次實は喜左衞門正任が子なり、, にいたり、大權現に〓見し奉る時、鈎命をかうふり、竹本をあらため、ふたゝひ加藤と, 稱す、大權現遠州御入國の時、供奉し、そのゝち仰によりて、九郎次郎正信死して子な, 利正が姪たるのあひた、はやく三州に候すへきとの嚴命あるゆへに、永祿十一年、參州, きゆへに、正信が妹を正次が妻とし、領地ならひに足輕二十人を御あつけありて、正信, 事、幼年より大權現につかへ奉り、數度軍忠ありと云々、, 正次信長につかへし時は、竹本と號す、大權現に〓したてまつるとき、正次は九郎次郎, 大權現につかへ奉り、三万原にをひて、兄正信とおなじとき、二十一歳にして討死、, 中より正信か尸骸を送る、此時喜左衞門正次出むかひて、これをうけとる、此外に正信, 大權現につかへたてまつる、元龜三年、遠州三方か原にをひて、從弟源四郎と一, 〔寛永諸家系圖傳〕, まつらんとて、終にはそのとき十二月廿二日、三十一歳にて戰死す、後の日武田勝頼陣, 所に討死、, 某, 同比禰丞某, 加藤源四郎某, 某, 齋藤, 元龜三年十二月二十二日, 比禰, 九十, 源四, 〓, 良, 九, 嗣トナル, 正次正信ノ, 同比禰丞, 齋藤宗林, 元龜三年十二月二十二日, 七三

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  • 比禰
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  • 正次正信ノ
  • 同比禰丞
  • 齋藤宗林

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 七三

注記 (31)

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