『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.80

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

もまた不幸短命にして死す、かるがゆへに其恩賞にあつからす、, 見て、たちまち大軍を率て、急にこれを追、この時吉信ならびに與力二十五・六騎相とも, たへて家にあり、ある時大權現、信次・吉次兄弟をめして仰にいはく、汝等が父吉信か, つりていはく、敵兵もし御あとをしたはゞ、我敵をふせぎて、うち死を決すべしといひを, はつて、御馬を濱松の方に引むけ、刀のむねをもて三頭をむちうつときに、敵兵これを, 吉信五十五歳なり、此時吉信十文字の槍をもつて敵兵をつきころす事二人、其槍今につ, 男、又次男あひともに早世す、其後三男吉忠をめして恩賜の嚴命ありといへども、これ, に軍中に入、同時に其命をおとして大權現の御命にかはり奉る、時に十二月二十二日、, 〔雨夜燈〕三河國箕形原の合戰に、權現樣御打負なされ、濱松をさして御人數崩れ候, も、敵兵追きたらば、のかれがたからん、たゞうち死せんとのたまふ、吉信又告たてま, 時、甲州の侍大將秋山伯耆下知して、黒鹿毛の馬に乘て、鑓をは持す、再拜を腰にさし、, 吉忠大權現吉忠か父吉信舊功有により、吉忠をして豆州韮山の城主となさせ給ふべきの, 忠節人にすくれたり、子孫のために其恩を報したまはんとなり、しかりといへとも長, 旨なり、しかりといへども早世す、, 元龜三年十二月二十二日, 功ニ報ゼン, 家康吉信ノ, トス, 八〇

頭注

  • 功ニ報ゼン
  • 家康吉信ノ
  • トス

ノンブル

  • 八〇

注記 (19)

  • 751,666,69,1623もまた不幸短命にして死す、かるがゆへに其恩賞にあつからす、
  • 1438,666,77,2239見て、たちまち大軍を率て、急にこれを追、この時吉信ならびに與力二十五・六騎相とも
  • 1090,670,81,2229たへて家にあり、ある時大權現、信次・吉次兄弟をめして仰にいはく、汝等が父吉信か
  • 1668,677,76,2230つりていはく、敵兵もし御あとをしたはゞ、我敵をふせぎて、うち死を決すべしといひを
  • 1551,670,79,2239はつて、御馬を濱松の方に引むけ、刀のむねをもて三頭をむちうつときに、敵兵これを
  • 1207,667,77,2230吉信五十五歳なり、此時吉信十文字の槍をもつて敵兵をつきころす事二人、其槍今につ
  • 858,667,79,2230男、又次男あひともに早世す、其後三男吉忠をめして恩賜の嚴命ありといへども、これ
  • 1321,674,79,2196に軍中に入、同時に其命をおとして大權現の御命にかはり奉る、時に十二月二十二日、
  • 381,595,84,2304〔雨夜燈〕三河國箕形原の合戰に、權現樣御打負なされ、濱松をさして御人數崩れ候
  • 1783,671,78,2235も、敵兵追きたらば、のかれがたからん、たゞうち死せんとのたまふ、吉信又告たてま
  • 266,608,75,2247時、甲州の侍大將秋山伯耆下知して、黒鹿毛の馬に乘て、鑓をは持す、再拜を腰にさし、
  • 616,605,84,2288吉忠大權現吉忠か父吉信舊功有により、吉忠をして豆州韮山の城主となさせ給ふべきの
  • 974,668,81,2232忠節人にすくれたり、子孫のために其恩を報したまはんとなり、しかりといへとも長
  • 519,665,62,872旨なり、しかりといへども早世す、
  • 1912,733,46,469元龜三年十二月二十二日
  • 1091,236,41,208功ニ報ゼン
  • 1136,237,41,207家康吉信ノ
  • 1048,238,35,75トス
  • 1894,2476,46,85八〇

類似アイテム