『大日本史料』 12編 41 元和七年雑載 p.115

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て死す、, たり、遠州池田の邊におひて、大權現、信玄と合戰のとき、武藏孫之丞殿となる、眞直これ, せむるとき、眞直ならひに大浦喜助・新地龜松ともに、鑓をあはす、このとき眞直一番鑓, 天正六年、駿河國遠目にをひて、大權現、信玄と合戰のとき、眞直、甲州勢のうちにありて, と刃をましゆ、松平壹岐守并に志摩守、これをしれり、同十年、甲州沒落の後、めされて、大, ををひて、さきにすヽミ、相たゝかふ所に、孫之丞か放矢にあたりて、眞直疵をかうふる、, 殿す、松平石見守山田平市等、あひたゝかハんとして、すゝミきたる、こゝにをひて、平市, 權現につかへたてまつる、同十二年、長久手合戰のとき、供奉して、首級を得たり、慶長五, にも、したがひたてまつる、そのゝち將軍家につかへたてまつる、元和七年、七十歳にし, 年、嚴命をうけたまハり、台徳院殿に屬したてまつり、眞田陣に供奉す、大坂兩度の御陣, 眞直生國同前、今川氏眞につかへ、のち信玄につかふ、永祿十二年、信玄、遠州懸川の城を, 元和七年雜載, 眞正, 衞門, 仕フ, 陣ニ從フ, ノ後家康ニ, 遠江懸川城, 大坂兩度ノ, 仕フ, 攻ニ一番鑓, 武田家沒落, 武田信玄ニ, ノ功ヲ樹ツ, 家光ニ仕フ, 元和七年雜載, 一一五

割注

  • 衞門

頭注

  • 仕フ
  • 陣ニ從フ
  • ノ後家康ニ
  • 遠江懸川城
  • 大坂兩度ノ
  • 攻ニ一番鑓
  • 武田家沒落
  • 武田信玄ニ
  • ノ功ヲ樹ツ
  • 家光ニ仕フ

図版

  • 元和七年雜載

  • 一一五

注記 (27)

  • 316,643,52,175て死す、
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