『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.90

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家康公モ定盈・忠正ヲ救ン爲、尤ト約諾有、同年二月十五日、, 五千餘人、本坂を打越し、三州野田へ押詰たり、同十一日也、守將菅沼新八郎定盈に加勢, ソシタリケリ、同月十六日ニハ、信玄病氣ト稱シツヽ、甲州へ引入ケリ、, 木石を投掛け、必死に成て防クに依て、大手武田孫六信綱入道逍遙軒、最初の戰に手負, 渡せは、新八郎平服ぶつさき羽織、鷹を手にすへ、大音揚、甲州の奴原、慥に聞け、信玄, れす、或は塀につく者をは、走り木を以〓落し、甲勢責寄すれは、弓・鐵炮を以打倒し、, として、松平與一郎忠政、此忠政は櫻井監物家次の嫡、久松定俊の聟、公の胤替り同腹の, 御妹聟也、定盈は屈屈の剛勇故、纔八百餘人にして、大敵に圍まるゝといへとも、少も恐, 斯て信玄は味方ケ原合戰の後、刑部にて越年有、天正元正月七日、刑部を打立、其勢三万, 死人餘多打出して、甲州勢引退く、與津十郎兵衞、翌立朝未明の霧間ゟ、城の上山の上を見, 瀬ノ川上二於テ、人質替可有トテ、信玄ノ兵二千餘兵ハ定盈・忠正ヲ相伴フ、家康公ノ軍, 兵モ人質トモヲ相伴ヒ、二千餘騎ニテ出合、彼川中ニテ人質トモヲ面々ニ取替、相引ニコ, か三万五千餘人をは、定盈か一ト擧の鷹を以、微塵にせん、胴勢咄と笑ふ、備近き跡部、, 〔三河後風土記莖葉集〕十四, 二州廣, 龜元年ト有、大ニ非也、, 或説ニハ、野田落城ハ元, ト大音聲二, ヲ撃破セン, 出テ武田方, 跡部勝資定, 定盈城外二, 盈ヲ追フ, 云フ, 天正元年二月十七日, 九〇

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  • 龜元年ト有、大ニ非也、
  • 或説ニハ、野田落城ハ元

頭注

  • ト大音聲二
  • ヲ撃破セン
  • 出テ武田方
  • 跡部勝資定
  • 定盈城外二
  • 盈ヲ追フ
  • 云フ

  • 天正元年二月十七日

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  • 九〇

注記 (26)

  • 1738,690,58,1504家康公モ定盈・忠正ヲ救ン爲、尤ト約諾有、同年二月十五日、
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