『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.232

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に依り、都は少しく鎭靜せり、, はロレンソを伴ひて丹波に歸り、部下をして説教を聽かしめ、又キリシタンとなりたる者, 來りて、約二時間其疑を質して夜に至りしが、予は其の甚だ謙遜從順なるに驚きたり、彼, み終り、了解せざりし所には、予に質問せん爲め紙を挾み置きたり、彼は昨日再び當所に, の書を持ち歸り、同夜は鷄の鳴くまで、殆ど眠ることなく之を讀み、殘りたる所は早朝讀, 祷をなしたる後、懺悔をなさんことを謙遜に予に請ひ、善く之が準備をなさん爲め、日本, 士にして、未だ甚だ若きに拘らず、其珠數の端に二箇の大胡桃と同大の頭蓋骨を附せり、, り、尊師の承知せらるゝ如く、日本の異教徒は死及び其記憶をも厭へるが、ジヨアンは兵, を持續せしめん爲め、彼の河内より來るを待てり、彼は其行動諸人の模範となる樣生活せ, 文字を以て認めたる日本語の指教書を得んことを欲すと云ひ、我等が飜譯し置きたる懺悔, 一五七三年五月二十七日, ジヨアンの都に著きたる日、池田殿兵士二千人を率ゐて公方樣を訪問せり、此兵士の來著, 附、都發、パードレ・ルイス・フロイスより、, 〔日本耶蘇會年報〕(歐文材料第七號譯文), パードレフランシスコ・カブラルに贈りし書翰、, ○元龜四年四月二, 十六日二當ル、, ○下略、荒木村重、和田惟長ヲ攝津高槻城ニ攻, ムルコトニカヽル、本月十一曰ノ條二收ム, 天正元年三月七日, 二三二

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  • ○元龜四年四月二
  • 十六日二當ル、
  • ○下略、荒木村重、和田惟長ヲ攝津高槻城ニ攻
  • ムルコトニカヽル、本月十一曰ノ條二收ム

  • 天正元年三月七日

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  • 二三二

注記 (21)

  • 637,676,57,729に依り、都は少しく鎭靜せり、
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  • 1412,673,57,2182み終り、了解せざりし所には、予に質問せん爲め紙を挾み置きたり、彼は昨日再び當所に
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