『大日本史料』 10編 16 天正元年4月~同年7月 p.167

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あさむく、されは敵恐て不得進、其隙に火繩を解のへて待懸之處に、大將とおほしきも, やかけ入と思惟仕候か、いや〳〵對彼等徒に打死すへき事は口惜次第也と、鐵炮を取て, 候を、かなくり捨てはたらく、召しつれ候ものとも、いつれもよくはたらき、一揆の輩, の貳人、左右を下知してすゝみ來るを、しつかにためて是をうつ、此鐵炮彼二人のもの, てものかし申まし、尋常に腹をあそはせとのゝしる、善左衞門も腹をやきる、敵の中に, あまた打捨に仕、其外數人手を負せ、追散し、終に運を開、本よりめしくし候ものとも, 而、味方にあたる箭多し、剩善左衞門か著たる茜の單物の左右の袖に幾筋ともなく射付, 敵よりも鐵炮二ツ三ツはなし候へ共、一ツも味方にあたらす、箭はしきりに射かけ候付, に當て、一時に倒伏候を、一人は首を討捕、吉田與次郎是也、今一人は敵引かけ取退候、, 見れは、火繩もへ入て、すへきやうなき故、こなたかなたにむかひ、そらためして敵を, まし語傳る所、從先祖書付置申候、其證左ニ相見申候、, をまねき集め、事故なく罷歸て、吉田與次郎か首を三村所に送る、是自故善左衞門あら, 炮一挺・手鑓一本也、其時大將與次郎進出て申やう、善左衞門殿は承及たる弓取也、と, ○毛利輝元、兵ヲ備中ニ遣シ、三村元親ト共ニ、佐井田城ヲ攻ムルコト、元龜一二年, 天正元年五月二十五日, 藩閥閲録」所收ノ文書略ス、, ○前掲ノ「桂文書」並ニ「萩, 等ヲ鐵炮ニ, 吉田與次郎, テ討取ル, 天正元年五月二十五日, 一六七

割注

  • 藩閥閲録」所收ノ文書略ス、
  • ○前掲ノ「桂文書」並ニ「萩

頭注

  • 等ヲ鐵炮ニ
  • 吉田與次郎
  • テ討取ル

  • 天正元年五月二十五日

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  • 一六七

注記 (22)

  • 1407,664,63,2249あさむく、されは敵恐て不得進、其隙に火繩を解のへて待懸之處に、大將とおほしきも
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