『大日本史料』 10編 17 天正元年8月 p.18

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共は皆元就に屬し、彼家禮となりしか共、鹿助は降參の志もなく、猶も敵を亡し、舊, に、又雲州浪人山中鹿介幸盛と云ける勇士、當國に來つゝ大軍を起し、武田と取合を, 勇士共、此度多打死しけれは、高信以の外氣を失ひ、勇氣を勵へき力なし、かゝる所, に揚たりける、去共晴久雲州富田城沒落己後、鹿介も流牢人と成にける、晴久の家臣, 案内知らぬ城を攻懸り敗北に及事、前非を悔れ共盆もなし、高信與力の城主并家禮の, 岩つねの城と名付らる、今におゐて其跡存せりといふ、, か、晴久、毛利元就と數年合戰隙なかりしに、其中此鹿助數十ケ度の働、武名を國中, 武田高信は但州の敗軍、兩人の子息の討れける事を聞、悲歎の〓せきあえす、今は源, 山中鹿助當國來所々軍の事, 始ける、此鹿助といひしもの、元來雲州の住人にて、尼子右衞門尉晴久の家臣たりし, 主の鬱憤をも散せんと、忠烈の心淺からす、晴久の一族に勝久と云し人を潛に語らひ、, 二郎とて幼雅の末子一人そ殘りける、此度の軍、敵を輕んし國を隔たる合戰なるに、, く候て、柴の庵に餘流の山伏籠、或説に曰く、因州岩井郡に豐國在住あり、居城を, 〔、稻場民談記〕f, 天正元年八月一日, 幡ニ入リ武, 山中幸盛因, 田高信ト戰, フ, 天正元年八月一日, 一八

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  • 幡ニ入リ武
  • 山中幸盛因
  • 田高信ト戰

  • 天正元年八月一日

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  • 一八

注記 (21)

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