『大日本史料』 10編 17 天正元年8月 p.31

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所を、權内むすと組て、城の内に落シ所を、彌十郎、權内か兩足を取て引あくれは、, 岩成は無念やな、悴めがと怒ぬ、暫有て權内岩成か首をかきて立揚る、早速首を勝, 得共、さセる大敵ニもあらす、藤孝公こは下津權内ニ討て來れとあり、築山彌十郎, りとも疵を付へしと云しか、此時下津か右の手を、小指にかけて喰切しとなり、, 惣而岩成方に討るゝ者三百四十餘人なり、岩成常に申候は、敵と戰む時、たとひ討取, らるゝとも、相手に手負せぬ事は有まし、運盡て太刀・刀及はさる時は、喰つひてな, 俊方は妹聟の事なる故、色々相議する處、城内の番頭大炊助は彌十郎智音なり、幸, 八日曉天に、權内と彌十郎小舟にて、城の堀際に向候へは、岩成は何心なく出向ふ, 藤孝君に御目にかけ申、敵盡く敗北セしかは、藤孝君城を乘取給ふ、岩成時に四十三, つきて又さし、四刀迄さゝれて、弱る所を水底に押付首〓切、しつかに川よりあかり、, 歳、五畿内に隱なき強力なりといへとも、水中心にまかせすして、下津か爲に被討取、, たちにて、きこゆる水練ナリ、岩成は水に馴さる故、下津一ト刀刺ては〓放し、息を, 築山か家記之、岩成友通、信長公之背候故、藤孝公へ被仰付、討取候樣之と有之候, と是に手寄す、同城中諏訪飛騨守は、笹原新左衞門と約して、味方ニ通す、七月廿, 天正元年八月二日, 死者, 築山家記ノ, 岩成方ノ戰, 友通ノ享年, 説, 天正元年八月二日, 三一

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  • 死者
  • 築山家記ノ
  • 岩成方ノ戰
  • 友通ノ享年

  • 天正元年八月二日

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  • 三一

注記 (22)

  • 396,756,58,2151所を、權内むすと組て、城の内に落シ所を、彌十郎、權内か兩足を取て引あくれは、
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