『大日本史料』 10編 20 天正元年雑載~同2年正月 p.529

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取たり、嶋津・松添・松尾・湯口四人ヱ、三人もみ立〳〵責戰ひし處、馬頭利〓公, しも有り、其備ゟ未物構有りと進め立の評義也、口々鐵炮十丁・拾五丁、又貳拾丁、, 口々に立置、内室どもには燒灰をみに入、風口ゟとはし、爰かしこ鐵炮打掛、弓を, れ、先年源義經公一の谷に被押寄時、すくり〳〵て七拾五騎なりしか、勝ては勝ち, 山いぬよりくらわれ、其處ニ即死也、墓所を取立くれよといふに、同年正月十三日, 七騎殘り居、此手合にて天地ヱかけり戰ひしとて、萬に壹ツの數てなし、最早皆々, 之聲、是に七騎之者もあきれたり、純忠公是迄皆々秘術ヲ盡誠に身ヲけつりて、漸, 散し、火散て無二無三に打立られ、法印辻田口に引退き、翌十四日明六ツに、志津, 二郎上段ヱ五百騎にて責入處、山城面留彈正、火花を散して戰ひしか、勢は不殘討, 被遊處、奧州たかたちの合戰にては、五拾三騎の御籠にて、日本引請討勝れしため, 是迄と御指添を被取拂は、山城并遠江ひざ元之立寄、やゝ公うろたへ給ふなと進ら, 午之刻ニ當テ、大船小船ゟ都合拾壹艘、大村盛園に揚、松浦法印大將にて、軍大將, 々口之様子、米の山の宥覺、大村之振合、遠聞に被遣時分、佐瀬母弓鑓越とと而、, 嶋津忠津三郎、湯口・松尾・松添先手にて、三城三口に分テ押取卷、一同ニ掛る時, 圍ム, 忠ヲ同城ニ, 松浦鎭信純, 前三城ニ在, 天正二年正月十八日, 五二九

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  • 忠ヲ同城ニ
  • 松浦鎭信純
  • 前三城ニ在

  • 天正二年正月十八日

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  • 五二九

注記 (20)

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