『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.205

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り、此事を一瀬道圓, り來るを見て待受、鐵炮を以て打留、早速尾和谷へ引取けり、此由三城へ相聞へけ, 逆意を所の給人とも云聞せ、一味を進めけれとも、誰有て請合ふものもなかりけ, を聞屆、切腹云付へきにそ究らる、然るに、内藏之助妹蜜に此由を告知らせたりけ, れは、内藏之助早速茅瀬を立退、尾和谷に忍ひ居たり、其後時々茅瀬に忍ひ來りて、, 道圓を覘ふよし風聞有之故、純忠道圓父子の者に命して、當分郡村本倉に引取居ら, さりけれは、無心元おもひ、其身も跡より參りたり、此時内藏之助は、道圓屋敷の, れは、純忠討手を差向け、内藏之助を討取へき由被相議、今道遠江は道圓の壻なり, 上なる山に忍ひ居けるか、三人の子共屋敷を見繕ひ歸ける跡に、道圓もまた別路よ, 次第也、, しむ、又所の者に命しけるは、見當り次第内藏之助を可討取と也、或ル時、道圓屋, を茅瀬に遣しけるに、時移りて歸ら, 城を出ける時、此城に登城是迄なりとて、門の柱を二刀切、直に茅瀬に立歸、右の, 聞付、是差置へき事に非すとて、三城に言上す、純忠此旨, 敷見分の爲とて、子供三人, 此上は、後藤か西郷かを引入、此鬱憤を晴さんとて、三, 名代を出さる事無念也、殊更大膳・伊右衞門なとに頭をさけ禮をする事、不及是非, 郎兵衞事後平左衞門と改, 嫡子薩摩、次男備後、三男十, 新八郎に附添居たり, 溝口大膳・三根伊右衞門、, 内藏之助, 婦〓也, 内通セント, 西郷純堯二, 後藤貴明力, ス, 天正二年三月二十日, 二〇五

割注

  • 郎兵衞事後平左衞門と改
  • 嫡子薩摩、次男備後、三男十
  • 新八郎に附添居たり
  • 溝口大膳・三根伊右衞門、
  • 内藏之助
  • 婦〓也

頭注

  • 内通セント
  • 西郷純堯二
  • 後藤貴明力

  • 天正二年三月二十日

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  • 二〇五

注記 (29)

  • 1386,697,57,507り、此事を一瀬道圓
  • 374,697,64,2151り來るを見て待受、鐵炮を以て打留、早速尾和谷へ引取けり、此由三城へ相聞へけ
  • 1507,698,61,2154逆意を所の給人とも云聞せ、一味を進めけれとも、誰有て請合ふものもなかりけ
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