『大日本維新史料 編年之部』 3編 3 安政5年3月1日~同月20日 p.697

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に京を立て、明日東着あるへきを承れる由を物語れり、, たり、閣中は例之無策之樣子にて、なす事もなくて荏苒と月日のみ移り行こそ〓てけれと, 城の御首尾能事をも申、將、, とめて水筑州の許へいたれり、筑州も西城の御事は痛く恐悦せられしかと、, にあらねは、直ニ小石川なる水府の邸に往て、茅根伊豫之介の許に到りて京師におゐて西, ても、名相なくては適ひ難き由を申出て、公の御事を希望せる趣なり、岩瀬肥州之廿日, なし置れんの思召にて、まつ以刑部卿殿、水老公へ御心得に仰セ上られんとの御事なる, りに承り奉れは、直樣老公へ申へき由を申セり、事の序に、かゝる容易からぬ時勢につけ, 三月廿九日、昨日京都ゟ申來し事を、永鴻臚へ傳へられん事を御頼の御使として、今朝つ, 故、御旨を奉して、師質夕かけて平岡圓四郎を訪ひたりしに、小石川邊へ行たる由にて、家, 勅答之次第は、諸侯の折合いかゝあらんと、眉を顰め大息ありて、此事の申來りし故にや、, 旨を申述たるに、いよの介も、勅答之儼然たるには大ニ驚きて、公の思召の程も御理, 一昨日は閣老衆已に退出となりたる時に、何事の出來にけん、皆揃はれて台前へ出られ, 勅答之次第は、老公へ申上て、大家ゟ御下問之節抔も、御穩當之御建議に被爲成度思召之, 之惑亂とも可相成歟と、深く御憂勞被爲在、大家ゟ表向被仰出なき内に、御下タ繕ひを, 中根茅根ト, 會談ス, 中根水野ヲ, 訪フ, 安政五年三月十八日, 六九七

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  • 中根茅根ト
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  • 中根水野ヲ
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  • 安政五年三月十八日

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  • 六九七

注記 (21)

  • 805,626,58,1361に京を立て、明日東着あるへきを承れる由を物語れり、
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