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一、天文七年戊戌六月、, 川播磨守元常君の御養子たるへき旨、台命を被蒙候、, 精く考可申候、扠井澤長秀撰の御家傳に、參河國岡崎にて藤孝君御誕生とある, 御實名の事はいふかし、松田覺書は御幼名尚違か、御誕生の月日もいふかし、, は潤色過ての誤ならんか、三淵の家傳は、諸記を離たる事之て候得共、其家の, 舟橋家の説ヱ、晴員ニ妾共ニ給ふ、先妻死せし跡也、依之藤孝威名ありといふ, 記ヱて候間、免角之儀は難申候、しかれ共御家の舊記とは大なる連ゆへ、尚又, て七十七年也、築山か家記は實を得たるかと見へ、沼田家記にも合申候、乍然, 五歳ヱて御養子ヱならせられ候とある事いふかし、慶長十五年七十七ュて御逝, 去の事、諸記并ニ御追悼の文等ニも明白也、天文三年甲午より慶長十五庚戌ま, か家記にも符合いたし、是を本文に用度候得とも、天文四年の御誕生、同八年, の息女を晴員主に賜りたる事、藤孝君御誕生の時日等も詳に、且御幼名等築山, 考二、各之説ヱいつれを證と難決候、先ツ長看撰の御家譜舊記の樣にて、宣腎, 五歳にして初て公方義晴公に被〓候、此時細, 〔細川家記〕, 天文四年乙未より, 同六年丁酉迄闕, ○中略、藤孝出生, 藤孝, ノコト二力ヽル, 三淵ノ家傳, 天正二年七月六日, 一二九
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- 天文四年乙未より
- 同六年丁酉迄闕
- ○中略、藤孝出生
- 藤孝
- ノコト二力ヽル
頭注
- 三淵ノ家傳
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- 天正二年七月六日
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- 一二九
注記 (23)
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