『大日本史料』 10編 23 天正2年6月~7月 p.218

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なり、白赤の母衣を懸、火威の鎧を草摺長に著、秋野を縫たる直垂に、重代の太刀, 太く逞きに、沃懸地の鞍を置、厚總の轍を芝打はかり懸てのり、眞先に大河へ馬を, に、兵庫〓の丸鞘に虎の皮の尻鞘をかけてはき、白尾毛なる馬の、尾髮飽まて足て, ひた〳〵と乘りひたし、松木の渡の先陣氏郷なりとて高聲に名乘、向の岸へ颯と乘, あかり、只一騎敵の眞中を懸破り通けれは、縱如何なる鬼神なれはとて、是程の大, 落ける、氏郷下に成、組伏られけるか、本よりはやり男の手きゝなれは、落ると其, ち、矢を發し、相戰ける、蒲生父子も賀鳥嶋へ被向ける、其比は氏郷は生年十九歳, 勢の中へ一人走入働とて、何程の事か可有、組取とて馬上にて引組て、兩馬か間へ, 乘て、下間備前守を大將として打出、松木の渡を推向へは、舟と陸とにて鐵炮をう, 儘九寸五分の鎧通をぬき、敵の腋つほを〓通、ゑいと云てはね返し、頸かき切て手, 太郎、生年十七歳にて宇治川を渡し、其後壽永三年に、梶原源太景季と佐々木四郎, 餘騎にて陣取けれは、銀川を打越、賀鳥嶋まて其勢滿々たり、敵兵船二百餘艘に取, に引さけ、馬少手負けれとも、引よせ打乘てそ被出ける、昔治承の合戰に、足利又, 高綱と、先をあらそひ宇治川を渡せしは、今に成まても言傳ける、今度氏郷か松木, 天正二年七月十二日, 二一八

  • 天正二年七月十二日

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  • 二一八

注記 (16)

  • 1443,722,64,2065なり、白赤の母衣を懸、火威の鎧を草摺長に著、秋野を縫たる直垂に、重代の太刀
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