『大日本史料』 10編 24 天正2年8月~9月 p.179

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道譽が跡に押續き、會津勢に討て懸る、蘆名方には佐瀬源兵衞尉・本名右衞門佐・沼澤, 寺山の敵を押ゑて居られしが、雜兵少々出して敵領の作毛をなぎ捨引きとらんとせし所, へ、佐竹方石川・千石・板橋・澤尻・下河邊等の一族等二手ヱ成て、其勢二千計ひた〳〵, と付きしたひ、くいとめければ、盛興と隆顯と一同に引返して相戰、隆顯兵を下知し旗, 少輔・河合甲斐守・大繩式部少輔・茂武左馬助・同但馬守・平井薩摩守等貳千餘騎にて、, 子一味して、都合其勢一萬三千餘騎、高野郡に發向せらる、二階堂遠江守盛義も濱尾筑後, は、互に勝負見へざりけるに、蘆名盛興と田村隆顯・同清顯父子馬廻りの勢計りにて、, 守・須田美濃守に千餘騎を指添て加勢あり、佐竹勢會津の旗先を見るとひとしく太鼓を, 本とも崩してかけ合せ、自から敵に相當り、七顛八倒して戰れけるに、石河方〓崩され, 打て責懸る、武州岩築の城主太田美濃守資正入道三樂齋道譽、其頃佐竹ニ屬して常州水戸, 理大夫盛氏・嫡子判官盛興・白川大藏少輔義親・田村安藝守隆顯・嫡子右京大夫清顯父, 出雲守・鵜浦甲斐守・中目式部太輔等先登に進んて、雌雄を爰に決せんと爭ひ排戰けれ, にありけるが、六百餘騎を卒、一陣に進めば、佐竹中務少輔義久を始として、緒貫大藏, 其支度中より會津ゑ聞ゑしかは、人に先をせられんよりは逆寄にして戰んとて、蘆名修, 天正二年九月六日, 一七九

  • 天正二年九月六日

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  • 一七九

注記 (16)

  • 1024,627,66,2316道譽が跡に押續き、會津勢に討て懸る、蘆名方には佐瀬源兵衞尉・本名右衞門佐・沼澤
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  • 585,635,63,2301へ、佐竹方石川・千石・板橋・澤尻・下河邊等の一族等二手ヱ成て、其勢二千計ひた〳〵
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