『大日本史料』 10編 25 天正2年10月~同年是歳 p.80

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さへ口惜きに、當年の年貢の事沙汰にも更に及ざるそや、所詮彼等を打殺し、敵の色を, に、本願寺のためたり顏も尤也、諸坊主は門徒の助力を以賄へとの仕置なれは、門徒の, 責つかはるゝ事なれは、日々夜々に困窮し、息を繼へき樣もなし、今迄知行をつゝけし, 旨大坂の御門主へ訴んが、其ために頭にも諸坊主にも委細に道理を盡せども、教化に事, 方人すへき事成に、頭衆ゟ口重し、つく〴〵是を案するに、取靜て其後は、門徒の半損, を漸々に取上、坊主中の知行たるへき仕方也、頃日頭分の有樣は、先年此國へ入給ひし, したしきを失ひ、這々いき殘たるものともに此仕置ある事は、飢殺んたくミ成へし、此, 生をこそ頼べけれ、下部のことく荷を持せ鑓をかたねさせ、城普請番手の供などゝて、, よせ取持す、重て云べき樣もなし、頭衆には所領を分てあたへられ、俄に大身に成ほど, 年貢半損の納所せは、何として面々〓命をばつなぐへき、桂田・富田・溝江・土橋其外の, 將軍の行粧□も増り、坊主の爲躰は、御屋形の位よりも高くみへたり、坊主中へは、後, 立て、信長公へ申あけ、眞の武士に隨ひ耕作をいとなみ、年貢を務て子孫相續致より外, 樣は、去年八月御屋形亡給ひて後、一揆を事とし、耕作に怠り、國中漸半作なる上に、當, 諸士、神官僧侶にいたるまて悉攻亡す、其内に、おやを打れ、子を殺し、たぐひを絶□、, 天正二年十月是月, 八〇

  • 天正二年十月是月

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  • 八〇

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