『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.46

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後此心を悟りて、可勵忠節与書置たる其歌に, ると也、各申ずるは、御切腹明日に相極と承る、此間申盡す〓く、今度御供, り御加勢の物頭なれは、理り至極せり、同心すへしと也、其後面々の持口, 不仕、吉田三原へ歸りなは、諸人嘲り有ゑし、皆一道に切腹して、死出の山, 小者七郎次郎、扨又隆景公よりの御加勢末近左衞門尉、いつれも同前の, 度高松之城においては、某一人にて相濟なり、末近左衞門殿は、隆景公よ, 一騎當千の時節〓れは、各は吉田三原へ歸りて、後々の御用に立給へ、此, 覺悟にて、以上六人船に乘、秀吉公の御陣面へ漕出す、其時秀吉公の〓使, へ歸りずれは、城中萬事の仕置一々注文にしるし、扨又殘る妻子の行末, 路、三途河原の御供申さんと望ずれは、宗治返事に、尤至極なり、去なから, 懇に申置、暇乞のため一獻を初、夫々に盃取かはしぬ、嫡子源三郎者、隆景, 一六月四日巳の刻、宗治乘船候へは、兄の月清、并家人難波傳兵衞、高市之允, 公へ人質に出し置て、此城に居合せされは、末期の三首を殘し置、成人の, 堀尾茂助、小船に乘來て宗治に對面し、筑前守被申ずるは、此間申談首尾, 天正十年六月四日, 尉平宗治由來覺書所收ノ, ○中略、前掲清水長左衞門, 宗治詠歌ニ同ジ、但シ日, 附四日ヲ三日二作ル, ト共ニ自, 殺セント, 宗治妻子, 遺言ス, ノ處置ヲ, 諸士宗治, イフ, 四六

割注

  • 尉平宗治由來覺書所收ノ
  • ○中略、前掲清水長左衞門
  • 宗治詠歌ニ同ジ、但シ日
  • 附四日ヲ三日二作ル

頭注

  • ト共ニ自
  • 殺セント
  • 宗治妻子
  • 遺言ス
  • ノ處置ヲ
  • 諸士宗治
  • イフ

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  • 四六

注記 (27)

  • 739,712,68,1347後此心を悟りて、可勵忠節与書置たる其歌に
  • 1795,708,66,2127ると也、各申ずるは、御切腹明日に相極と承る、此間申盡す〓く、今度御供
  • 1210,711,67,2124り御加勢の物頭なれは、理り至極せり、同心すへしと也、其後面々の持口
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