『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.45

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し、六月四日、切腹に相極候也、, 倉を預り、日夜の働比類なし、去四月廿七日之合戰に、左の股を討さしか, は、乍恐介錯と望むゆへ、則首を討落し、本丸へ歸りぬ、, 本丸へ使を奉り、直に申上度子細有り、下り給へと〓り、宗治頓而下り〓, れは、與三左衞門大に歡て、御切腹明日に相極ると承る、定て秀吉より〓, らは、此間の籠城に万事忘却故と、人々に謗られん事口惜淺れは、男を作, 使有ゑし、某試に先切腹仕たり、尤輕ものなり御覽有へしとて、腹卷を引, 常々剛のものなれは、其身堅固にして武略の志深し、六月三日、矢倉より, 腹の後、妻子の行末を頼之置んと思ひしに、案外我に先立ずるよといへ, 一清水家臣に、白井與三左衞門治嘉とて勇士あり、今度の合戰に、大手の矢, をぬかせて居たれは、各申〓るは、時節不相應の事やといへは、宗治莞爾, と笑ていりく、某か首は、定て信長公の御目に懸るへし、若鬚を其儘置な, 一其日吉田三原の入番衆、并幕下の諸將本丸へ來れり、時に宗治小童に鬚, 退ける、宗。治是を見て、扨々殘多さ事也、汝か忠節常々他に異なれは、某切, 秀吉公へ其段被申上候へは、神妙無比類之通被仰候、又其趣清水へ相達, 天正十年六月四日, 白井治嘉, 四五

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  • 白井治嘉

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注記 (18)

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