『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.109

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事頼入のよし委細に被仰, 高力權左衞門酒井左衞門尉石川伯耆守本多藤四郎, 權現樣御供仕候衆、, 多百助をめして、甲州え可參の旨、并に甲州先方名有者とものかたへ、本, 二枚とられ、殘は御返し、小姓をよひ出しとらせらるゝ、その節御荷物の, 所え川尻肥前入て、是を〓のよし申來候によつて、御人數を被遣、公もや, 金子とも、何も御取出させ、御ともの衆へ、手々に貳枚宛被渡、腰に付間、そ, れより伊賀路を經て、勢州神戸に御著候時、三七殿御母儀より、三七殿御, 栖にて被〓殺のよし御聞被成、濱松え御馬入、六月十五日、於甲府、百助寢, とり御船にめして、三州大濱に御つ, 海まて御出之處に、明智は勝龍寺表にて合戰にまけ、夜陰に退候節、小栗, 領不可有相違の由被仰遣、其後御人數催し、弔合戰の御用意にて、尾州鳴, お、三州遠州の衆各御迎に彼地へ參、懸御目悦の餘に、皆々落〓數篇、則本, 堺にて、, かて甲州え御出馬被成候, ○河尻秀隆、本多信俊ヲ殺ス, 四日市か, コト、本月十八日ノ條二見ユ, 白子か、, 信孝ノコ, 信孝ノ〓, トヲ家康, 與ス, ニ依頼ス, 金子ヲ分, ノ家臣, 家康扈從, 天正十年六月四日, 一〇九

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  • ○河尻秀隆、本多信俊ヲ殺ス
  • 四日市か
  • コト、本月十八日ノ條二見ユ
  • 白子か、

頭注

  • 信孝ノコ
  • 信孝ノ〓
  • トヲ家康
  • 與ス
  • ニ依頼ス
  • 金子ヲ分
  • ノ家臣
  • 家康扈從

  • 天正十年六月四日

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  • 一〇九

注記 (29)

  • 1587,685,59,768事頼入のよし委細に被仰
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