『大日本維新史料 編年之部』 3編 2 安政5年2月 p.707

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をも、水筑州へのみ御相談ありては、兩人の間に嫌疑もあらんかとの尊慮にて召れたるに, 夜に入つて御歸殿なり、此日も御〓應之御間〓に、猶又例の御一件を被仰進しに、卿にも, る、又此人の息某は、當時御小姓を勤て〓近の臣なれは、上の御平素之御樣子なんと問は, る御返翰なりけれは、御内々筑州へ御示しにて、尚筑州之意見をも被爲問、且十五日黄門, も思召、將御先代宗、武卿には、公儀御政道に御口出しありて、有廟の御不興を被爲蒙、, 御登城を止られし御事もあれは、かた〳〵此度は被仰立ぬ方に、御決定のよし御物語有し, 御理りとはおほ勢とも、重大之御事件故、將軍家御壯年の御折柄、何とやらん御無遠慮に, て、此事をも仰あるに、甲州素より御同意の事なれは、御筋の事共何くれと御相談申上ら, 御事なりしや將別御用なりしや、御推問之御直書を被遣たる御請なり、, 二月廿三日、公の姉君尾州貞愼院の尼君、田邸へ御入ニ付、公も御對顏として御出ありて、, 公御登城之節、御側衆平岡石見守・夏目左近將監殿へ御閑談ありしよしを被聞召、西城之, 一、此日午後、田安御家老朝比奈甲斐守殿を被召御逢あり、これは納言卿御建白の儀なと, 右は、公ゟ黄門卿へ、西城御建白の儀を縷々被仰進たりしに、唯一ト渡りの御承知と迄な, とそ、, 二月廿四日, ○中, ○中, 略、, 略, 治ニ容喙セ, 田安家ハ政, 昌壽ト會談, 慶永朝比奈, ズ, 安政五年二月二十七日, 七〇七

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  • ○中
  • 略、

頭注

  • 治ニ容喙セ
  • 田安家ハ政
  • 昌壽ト會談
  • 慶永朝比奈

  • 安政五年二月二十七日

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  • 七〇七

注記 (26)

  • 450,623,60,2217をも、水筑州へのみ御相談ありては、兩人の間に嫌疑もあらんかとの尊慮にて召れたるに
  • 1261,619,62,2225夜に入つて御歸殿なり、此日も御〓應之御間〓に、猶又例の御一件を被仰進しに、卿にも
  • 215,623,64,2210る、又此人の息某は、當時御小姓を勤て〓近の臣なれは、上の御平素之御樣子なんと問は
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