『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.114

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

に立身もなしと云、, 四郎次郎京より參り、信長公生害之事言上す、大に御驚き、京へ御上り、, 京へ歸し遣さる、本多中務少輔分別故に、參河へ御歸被成候と中務少, 本能寺の燒跡にて、御腹めをれんとて御上り、本多中務少輔諫言にて、, 此時に、泉州堺より京へ御上なさるへきとて、牧方まて御越の時、茶屋, 上て、木津川へ御越なさる、茶屋は上方の義を參河へ申上よと仰にて、, より上て、以上九拾枚の數合たるとなり、多羅尾は從弟に讒せられて、終, 輔を感けり、酒井左衞門尉、石川伯耆守、其外老功の者あれとも、時に當, 參州へ御下に究る、道はと御尋の時、伊賀越に御かゝり可然と、茶屋申, は多羅尾に賜ふ、八十八枚有て貳枚不足、いかゝとあれは、右近、瀬兵衞跡, 一織田信長公御在世之時分、權現樣三州より御上洛、信長公え被成御對面, り思案いてす、唯一筋に京都にて御腹めさまんと思究めしとなり、, 候處に、信長公被仰候は、和泉乃堺御見物可然之由にて、長谷川竹、矢部善, 是者家傳にては無之、伊賀越、關ケ原、大坂冬御陣之記也、, 譜牒餘録, 天正十年六月四日, 永井萬之丞, 五十, 天正十年六月四日, 一一四

割注

  • 永井萬之丞
  • 五十

  • 天正十年六月四日

ノンブル

  • 一一四

注記 (20)

  • 1514,685,57,557に立身もなしと云、
  • 1281,751,66,2069四郎次郎京より參り、信長公生害之事言上す、大に御驚き、京へ御上り、
  • 825,754,66,2055京へ歸し遣さる、本多中務少輔分別故に、參河へ御歸被成候と中務少
  • 1169,751,69,2069本能寺の燒跡にて、御腹めをれんとて御上り、本多中務少輔諫言にて、
  • 1395,751,68,2054此時に、泉州堺より京へ御上なさるへきとて、牧方まて御越の時、茶屋
  • 939,754,66,2073上て、木津川へ御越なさる、茶屋は上方の義を參河へ申上よと仰にて、
  • 1631,684,67,2128より上て、以上九拾枚の數合たるとなり、多羅尾は從弟に讒せられて、終
  • 706,752,67,2057輔を感けり、酒井左衞門尉、石川伯耆守、其外老功の者あれとも、時に當
  • 1057,751,66,2058參州へ御下に究る、道はと御尋の時、伊賀越に御かゝり可然と、茶屋申
  • 1745,685,69,2112は多羅尾に賜ふ、八十八枚有て貳枚不足、いかゝとあれは、右近、瀬兵衞跡
  • 241,633,68,2181一織田信長公御在世之時分、權現樣三州より御上洛、信長公え被成御對面
  • 594,758,67,2004り思案いてす、唯一筋に京都にて御腹めさまんと思究めしとなり、
  • 122,689,70,2127候處に、信長公被仰候は、和泉乃堺御見物可然之由にて、長谷川竹、矢部善
  • 360,756,66,1643是者家傳にては無之、伊賀越、關ケ原、大坂冬御陣之記也、
  • 462,587,90,309譜牒餘録
  • 1860,681,42,337天正十年六月四日
  • 467,983,41,322永井萬之丞
  • 514,984,36,103五十
  • 1860,680,43,338天正十年六月四日
  • 1871,2396,45,115一一四

類似アイテム