『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.159

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都の大變を神君に告申さんとての義にして、妻子を捨て爰に至る也、忠, と同し申、然るに忠勝此旨承り、然る〓からす候、かゝる御不勢ニて、何の, 坂城に罷在丹羽長秀と示し合せ、光秀と一戰有るへくと也、惣家老中尤, 笠傾ケて、京の方を指さし、稍あつて、京都の變を告る、忠勝、されはこだと, り、伊勢ゟ御舟にて參河に御入御尤に候と申上る、其時神君被仰候は、尤, はか〳〵敷事御座有へくは、一先此所を御退き、山城路ゟ近江伊賀に懸, 次、數正等の家老衆に仰られ候は、河内國飯森八幡宮の飯森山に籠て、大, 而打、晝午の時計平牧の宿に至る、是堺より行程八里也、然る處京の方ゟ、, 君御家來悉く召連られ、此所に至り玉ふ、是は最早堺へ京都乃大變知れ, たる故也、此時晝未刻に下ル、四郎次郎、忠勝、神君に逢ひ奉る、神君、此節忠, 茶屋四郎次郎清延、馬に乘て足をはかりに馳せ來るに行逢ふ、是清延、京, 勝いか計と問ふに、四郎次郎餘りに息切れと物いふ事叶はす、著たる菅, 吾其儀思はさるに非れとも、若途中に於て惡徒に迫らま、やみ〳〵と生, て、四郎次郎とつれ立て、早々堺へ歸る、其行程二里打て守口に至る時、神, 平八郎忠勝遣され候、即忠勝昨夜中ゟ罷立、京都御使として、陸地を馬こ, 天正十年六月四日, 京都ノ變, ヲ聞ク, 家康飯盛, 一籠フン, トイフト, 〓二ニテ, ノ説, 一五九

頭注

  • 京都ノ變
  • ヲ聞ク
  • 家康飯盛
  • 一籠フン
  • トイフト
  • 〓二ニテ
  • ノ説

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  • 一五九

注記 (24)

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