『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.88

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その夜、敵果して兵を出すといへとも、その備のをこそかなるを見て引, 退く、關原の御一戰終るのゝち、安國寺惠瓊をめしあつけらる、東照宮、大, 井上半九郎正就、及ひ朝倉藤十郎宣正、高木九兵衞正勝、大久保與一郎忠, 康政か病を看し、かつ延壽院玄朔、男玄鑑、その餘御醫師數輩を下され、又, 盆、神尾五兵衞守世、弓削多源七郎昌吉等をして、しは〳〵とはせたまふ, とき、佐野修理大夫信吉、仙石越前守秀久、石川玄蕃頭康長をゐて先驅し、, 御刀、及ひ國綱の鎗二本を拜賜す、十年、台徳院殿洛にのほらせたまふの, 將の忠不忠をたゝし、かつ天下の政事にあつかる、八年十一月二十五日, にをいて、五千石をたまひ、御朱印を下さる、のち東照宮より、御料元重の, 子を台徳院殿の御養女となさる、十一年四月、城地に在て病に罹るのと, 御上洛の供奉、をよひ在京の料として、近江國野洲、栗太、蒲生三郡のうち, き、酒井雅樂頭忠世、土井大炊助利勝等、仰によりて館林に來り滯留して、, 坂城にいらせたまふのとき、仰によりて、井伊直政、本多忠勝等と共に、諸, 四月二十六日、將軍宣下御拜賀により、騎馬にて供奉す、この年、康政か女, 東照宮よりも、村越茂助直吉を下されて御尋あり、これよりさき、東照宮, 慶長十一年五月十四日, 秀忠ニ養, 康政ノ女, 天下ノ政, 在京ノ料, 賜ハル, 五千石ヲ, 事ニ與カ, ハル, 八八

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  • 秀忠ニ養
  • 康政ノ女
  • 天下ノ政
  • 在京ノ料
  • 賜ハル
  • 五千石ヲ
  • 事ニ與カ
  • ハル

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  • 八八

注記 (25)

  • 1804,725,62,2134その夜、敵果して兵を出すといへとも、その備のをこそかなるを見て引
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