『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.164

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家紋とせよと、其軍功を賞せらる、, 共にとゝきこわし捨たり、尤居人共に能きあたひを遣れたる成へし、是, 御跡より凶徒の襲ひ來るを裁切たる者也、今晩は木津川の南乃川端通, いへとも淺手也、高力權左衞門正長鐵炮疵を蒙る、神君吉川に柏を以て, りを御退き、大和國長尾村の八幡山を以て、十市玄蕃御旅宿として御馳, 吉兵衞柏の生木を馬標として先懸し、忽ち打破る、本多忠勝疵を蒙ると, 走申、御馬を玄蕃父子に賜ふ、, 岸に御人數悉く上り候と、其儘忠勝彼大身の鑓乃石〓を以て、其船二艘, 時、舟人、捨る事はならすといふ、又忠勝、其舟人共を殺さんとおどす、依て, り給ふ道、石原村にて其地士石原源太といふ者、御先路を遮る、其時吉川, 卅人おそれて悉く柴を捨たり、爰を以て上下乘渡る事を得たり、向ふの, 同四日、神君長尾村を御立、老中村、江野口村、高尾村に至らせ給ふ、凡此江, 具元、往昔聞之、此時御呉服所三嶋吉之進先祖、同上柳新四郎先祖、此石, 野邊より高尾村乃邊迄、庄名を宇治田原といふ、然るに其宇治田原に至, 原邊の住人にて、神君の御味方申相働く、吉之進先祖額に疵を蒙る、善, 吉川吉兵, 老中江野, 宿ストノ, ノ八幡ニ, 家康食尾, 口高尾ヲ, 高力正長, 經トノ説, 衞, 説, 天正十年六月四日, 一六四

頭注

  • 吉川吉兵
  • 老中江野
  • 宿ストノ
  • ノ八幡ニ
  • 家康食尾
  • 口高尾ヲ
  • 高力正長
  • 經トノ説

  • 天正十年六月四日

ノンブル

  • 一六四

注記 (27)

  • 361,690,68,997家紋とせよと、其軍功を賞せらる、
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