『大日本史料』 11編 8 天正12年8月 p.72

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羽柴筑前守秀吉の許に云送り、, 自ら七千人をひきゐて、宇治道を, 經て、京に入らんとす, り、幾程なくて死す、歳三十六歳とそ聞へける、猶子の四郎定次家を繼, 給ひて、三七殿の御陣にそ參りける、秀吉、順慶か味方せしさ參、云甲斐なし, と思ひしかと、筒井もとより有勢の者にして、近江、伊賀、伊勢、尾張等の戰に、, 常に味方に有て、其功もまた少あらねは、本領安堵せし事、織田殿の時にか, はらす、天正十二年五月、長嶋の戰にたちまちに身煩ふ事出來て、本國に歸, 山崎の戰すてに事終りぬと聞, 順慶返答にも及はす、一紙の起請文書て、うら切すへき由、, 〓舊領見承覺和州法隆寺, 〔筒井諸記〕, 天正十二年八月十一日, う1ユ尾の收一山, 子こつ宮妖五日院多, 使とす、使來れる, は十一日の事也, 十四日に、先陣打たち、, 順慶十五日に打立、, 村田九中, 其使也、, 善住院持佛堂, 多聞, 記には、天正十二年六月、順慶勢州長島の城ををめ、八月四日の夜、郡山に歸, りと云、永正の比に聞へし成身院明舜房順, れり、必定死去なりと見へたり、〓らは陣中に死をし也、一説、八月十一日コ, 院日, ニ奉安置候、, 盛か外、順盛といふものいまた聞所あらす、, 死すと云、いふかし、又初順慶、秀吉に申て、番條五郎を世繼とせんとす、五郎, 從はさ〓しかは、四郎して家繼をしと見へたり、世には、四郎は順慶の妹の, る、城破れし後、本國にかくれ居て死すと云、又いふかし、又一説、順興つ子な, て養ふ、大坂の事起りし時、箸尾重代の家人等かすゝめにより、城中ユこも, 二, 著尾か妻と成てうみし所也といふ也、大和記には、順慶つ妹の夫箸尾宮内, 少輔つ只一子あり、關ケ原の後、箸尾は所領を失ひしに、松倉ゆかりにつき, 領ヲ安堵, 中ニ歿ス, ヲシテ本, トノ説, 長島ノ陣, 秀吉順慶, セシム, 順慶六月, 天正十二年八月十一日, 七二

割注

  • 使とす、使來れる
  • は十一日の事也
  • 十四日に、先陣打たち、
  • 順慶十五日に打立、
  • 村田九中
  • 其使也、
  • 善住院持佛堂
  • 多聞
  • 記には、天正十二年六月、順慶勢州長島の城ををめ、八月四日の夜、郡山に歸
  • りと云、永正の比に聞へし成身院明舜房順
  • れり、必定死去なりと見へたり、〓らは陣中に死をし也、一説、八月十一日コ
  • 院日
  • ニ奉安置候、
  • 盛か外、順盛といふものいまた聞所あらす、
  • 死すと云、いふかし、又初順慶、秀吉に申て、番條五郎を世繼とせんとす、五郎
  • 從はさ〓しかは、四郎して家繼をしと見へたり、世には、四郎は順慶の妹の
  • る、城破れし後、本國にかくれ居て死すと云、又いふかし、又一説、順興つ子な
  • て養ふ、大坂の事起りし時、箸尾重代の家人等かすゝめにより、城中ユこも
  • 著尾か妻と成てうみし所也といふ也、大和記には、順慶つ妹の夫箸尾宮内
  • 少輔つ只一子あり、關ケ原の後、箸尾は所領を失ひしに、松倉ゆかりにつき

頭注

  • 領ヲ安堵
  • 中ニ歿ス
  • ヲシテ本
  • トノ説
  • 長島ノ陣
  • 秀吉順慶
  • セシム
  • 順慶六月

  • 天正十二年八月十一日

ノンブル

  • 七二

注記 (46)

  • 1637,638,61,919羽柴筑前守秀吉の許に云送り、
  • 1643,1843,57,984自ら七千人をひきゐて、宇治道を
  • 1516,639,54,629經て、京に入らんとす
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  • 1391,635,60,2194給ひて、三七殿の御陣にそ參りける、秀吉、順慶か味方せしさ參、云甲斐なし
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  • 1150,633,59,2193常に味方に有て、其功もまた少あらねは、本領安堵せし事、織田殿の時にか
  • 1022,633,61,2200はらす、天正十二年五月、長嶋の戰にたちまちに身煩ふ事出來て、本國に歸
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